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2006年2月22日 (水)

煙草についてについて

三つ巴ブログの中のひとつ「霧の中の鈴」がたばこについて記事を書いております。
一度に大量の記事を書いてるので大雑把ではありますが私見。

煙草について(1)

あまり親しくない人や目上の人の前では基本的に煙草を吸わないからです。

これは僕も同じですね。というか、煙草を吸うときは相手が喫煙者であっても
「僕も吸っていいですか」
と尋ねてから吸ってます。
ただ、僕の場合、

喫煙は、アウトローな行為だと考えているからです。

ではありませんね。いや、微妙に同意するけど、いずれにせよ煙草を吸うにはマナーが必要だと思うから気を使う。

煙草について(2)

僕としては今の時代において煙草と宗教(宗教観)を結びつけるのはいかがなものか、とは思うけど、そこから導き出される結論、すなわち

「文化としての煙草」という認識は持って欲しいと思います。

という部分には大賛成。

煙草について(3)

しかし、喫煙者のモラルの低さが嫌煙家に根拠を与えていることも見過ごせません。
所かまわず煙草を吸う、吸殻をポイ捨てする、危険な歩き煙草をする、などという現実に対しては、喫煙者のぼくも憤慨するところであります。

これは僕も同感。煙草に限らず、どのようなことでも最低限のマナーを守れない奴は何かをする資格はない。
でもその前段にある

煙は分散しますから、やはり解決策は、「嫌いな人の近くで吸わないこと」ですね。

というのは逆のことも言えるわけです。
これは書きなぐソ陪審「喫煙者vs.禁煙者②」の末尾にもあるように

「お前が死ぬのは勝手だが周りに副流煙で迷惑をかけるな」と言われても「お前が嫌なら近寄らなきゃいい」としか言いよーがない。

です。つまり両論が成り立つのならば、その場その場で多い方の意思を尊重し、少数派にはガマンしてもらうか出て行ってもらうしかない。
もちろん喫煙者がマナーを守っている限りにおいては、という前提つきではありますが。

あと霧鈴は煙草と自慰行為を結びつけてるけど、女性が煙草を吸ってるのを見て興奮する男はかなりアブノーマルだと思うんで、ちょっとムリがあるんじゃないかな。
「ひとりで楽しむ」という点においては似た部分もあるけど。

煙草について(4)

ただ、両者(愛煙家、嫌煙家)のモラルの低さが、問題をさらに複雑にしていると考えます。

それは同意せざるを得ない。我が身を振り返っても、煙草を嫌う人を見ても、ですね。

まあ、結論を出そうとしてるわけではないんですが、
形だけでも結論付けないと終われないよぉ…

誰か助けて。

ということですが、既に1~4の中で結論は出てると思います。

もうちょっとゆっくりと話し合いましょうよと、喫煙者のぼくは言いたいです。

では?
僕としては、
・喫煙者は煙草を吸う時、「周囲に迷惑をかけているかもしれない」という意識をもっておく。
・嫌煙家は自分の意思ばかり主張するのではなく、我慢する部分は我慢する。

何事に関しても「節度」というのは大切なわけで、今のところ喫煙者が一方的に我慢を強いられる場面が増えている。だが、こちらとしても気をつかって喫茶店などであえて喫煙席に座っているのに、てめーも喫煙席に座っておきながら露骨にイヤな顔をするのはやめていただきたい。

んで、喫煙者は酒の席では煙草が増える習癖があるんだから、煙草がイヤなら一緒に酒の席に座らないでほしい。気持ちよく酒を飲んでるのに、煙草に火をつけた途端、「外で吸って」というのはあまりにも幼稚な態度ではないのか。

飛行機や仕事場などの密閉空間で隣の人が煙草を吸うと逃げられない。だから「分煙」「禁煙」を主張するのは構わないと思います。だけど、煙草が絶対に許せないなら「禁煙居酒屋」を自分たちで作ってその店にだけ行けばいい。

煙草を吸っても構わない空間、嫌煙家が逃げられる空間においては、嫌煙家が我慢すべきではないのかな。

喫煙者に対して「自制心がない」などとこき下ろす人もいるが、その言葉を吐いている時点で、我慢ができない奴だ、と思われていることをお忘れなく。

結局は書きなぐソ陪審にもあるように、

煙草に心を奪われている人達以上に嫌煙活動を通して煙草に心を奪われているというか。。。
あくまでも「心を捧げている」ではなくて「奪われてる」と書くのが良いかなと配慮してます。

です。「煙が好き」と「煙が嫌い」は表裏一体であって、「吸わせろ」というのと「吸うな」というのは同じレベルの話。そして喫煙者は「煙草を吸い続けるぞ同盟」なんてものはつくらない(というか、聞いたことない)わけで、むしろ煙草にこだわっているのは嫌煙家の方じゃないのかと思う。
自分の主義主張だけをごり押ししていては、どこまで行っても結論など出てこない。
ならば、双方が一定レベルで妥協しなければならない、ということであり、妥協するためには一方的に意見を押し付けるのではなく、その場その場で冷静に話し合うべきなのではないかと。

ちょっと駆け足ですが、以上、私見でした。
ちなみに僕が以前に書いた煙草に関する記事。
ヘビースモーカーの主張
たばこに思う

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2006年2月21日 (火)

えせ記者徒然

小兄こと、わたくしめは恥ずかしながら「新聞記者」の末席を汚しております。
新聞社をはじめとするマスコミの影響力は「第四の権力」と呼ばれるほどに大きなものです。
そんな中にわたくしめのような若輩者が混じっていいものなのか。お恥ずかしい限りです。

しかし。

今の業界たるや、いかなるものか。
特に「記者」を名乗る連中の体たらく。
お前ら、質が低すぎ。
僕は現時点では田舎の通信部で仕事をしておりますが、まもなく「整理部」と呼ばれる部署に行きます。
業界とは無関係の人には分からないと思うので、簡単に解説しておきます。

まず、外回りの記者が原稿を書いてきます。
その原稿は全て本社に送り届けられます。
それを読んだ整理部の人間が「これは1面」「これは社会面」などと割り振っていくわけです。
でも、それだけでは足りません。
新聞なんて所詮は見出しが勝負。読者が読んでくれるような見出しをつけなければなりません。
それでもまだ足りません。
見出しがいくら興味をそそる文面であっても、読みにくければ途中で読むのをやめてしまいます。
つまり、読者の好奇心をそそる見出しをつけ、読みやすい紙面を作らなければならない。
それが整理部です。

業界の人はある程度分かっていると思います。
そして、外回りの記者の中には整理部を「出来損ないが行く部署」と位置づけている人もいます。
ですが、時代とともにメディアの質も変化していく。
新聞がこの激動期を乗り越えるには、整理部の質を向上させ、「整理部主導型」に転換していかなければなりません。
その頭の切り替えができない新聞社はおそらく10年~20年以内に潰れていくことでしょう。

優秀な人間を整理部に回し、外回りの記者に
「こんな原稿を書け」「これぐらいの行数を書いてこい」
と指示してやらなければ、新聞というメディアは衰退していきます。

さて、記者をやっていると、自分の社の新聞以外にも目を通さなければなりません。
例えば家電メーカーが他社の商品の研究をしなければ、他社を超える商品はつくれないわけです。
そういう意味ではどの業界も一緒。
新聞社にとっては紙面が商品です。
だから、いろんな社の紙面を見ます。

一見、どの新聞もさほど変わりはないと感じるでしょう。
わたくしめは自分の能力に恥を感じているので、本当に「記者」なんだけど、あえて「えせ記者」と名乗っております。
でも、プロとしての自負心がありますので、紙面を見ればその社の整理部の体質が分かります。
整理部の体質が分かれば、その社の将来の命運も分かります。
そのプロの目で見たとき、よそ様のことはともかく、我が社の将来にとてつもない不安が沸いてくるわけです。

このままでは潰れてしまう。

なぜかというと、整理部の質が落ちているからです。
その整理部というのは、社によって様々な人員配置があるようですが、基本的に外勤記者を引っ張って整理記者に育てる、というケースが多いようで、わたくしめの社もそのような方式を採用しております。
だから、整理部員の質が落ちている、ということは、とりもなおさず、外勤記者の質が落ちている、ということに直結するわけです。

わたくしめは記者としての人生を歩み始めてから約10年。
その中の半分以上の年月を整理部員として過ごしました。
だから余計に整理部の質が気になって仕方ない。
面白くない原稿でも、見出しで救ってやろう、レイアウトでなんとか体裁を保ってやろう、と努力してきたのですが、もはや救いようがないレベルに落ち込んでいます。

優秀な人材は、やはりテレビやネット業界に流れているんでしょう。
カスみたいな記者が異常に増殖しています。
そんな奴らがエラソーに記者ヅラして、人を人とも思わぬ態度でエラソーに記事を書いてる。
外勤、内勤の違いこそあれ、わたくしめとしては
「言語道断」
としか言いようがありません。

「価値判断がどうのこうの」
「この話なら3段30行でいいだろう」
「この程度の事故なら20行ほど書いておけばいいだろう」
「とりあえず、今日は仕事したということで、『出席原稿』を出しておけばいいだろう」
「そういう話なら電話で十分だろう」

そんなことを考えてる奴らが多いから、質が落ちるわけです。
価値判断は整理部の仕事。外回りの記者どもは、ともかく聞いた話を全部書け。書いてから文句言え。
3段にするかどうかは整理部が決めること。20歳台~30歳台の記者が勝手に判断するな。
行数はこっちが指定する。勝手に決めるな。
出席原稿を書くヒマがあるなら、走り回って特ダネとってこい。
電話取材で済ますな。現場に行って初めて状況が分かるんだろうが。
…などなど。

そんな「記者のイロハ」が分かってない連中が、ライブドアがどうだとか、2児殺害の原因はなんだとか、勝手な分析をして分かったような顔をしてるわけです。

いろいろ考えるのは構わない。いや、考えなければならない。
でも、記者なんだから。評論家じゃないんだから、理屈こねる前に書け。
「社会の歪みがどうのこうの」
なんてこと言ってる若手もいますが、お前の方がよっぽど歪んでるぞ。
積極的か消極的か知らないけど、記者という職業を選んだ以上は寝食を忘れて仕事に没頭しろって。
プロに徹しろ、ともかく書きまくれ、って。
書くのがイヤなら整理部に行けよ、と言いたい。

…まぁ、そんなカス記者に整理をやられては困るんですけどね。

そもそもね、プロの記者とはどういうものなのか、分かってない連中が
「新聞とはこうあるべきだ」
などと語る。そして
「世の中をこうすべきだ」
と語る。
僕としては、そういう連中に一言いいたい。

記者は書くのが仕事。評論は読者に任せろ。事実を真摯に見つめ、それを読者に伝えろ。そのために書きまくれ。たとえ死んでも読者を裏切るな。それができない、したくないなら記者なんか辞めちまえ。

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三つ巴ブログ

当初のブログ構想がとりあえず形だけですが完成しました。
他の2つのブログの更新状況をこのブログ上でお知らせするフィード機能を使いたいのですが、どうやらフィードは1つまでしか設定できないようなので、僕が記事を書かないときでも他ブログの更新状況だけは記事としてお知らせしたいと思います。

フィードの追加方法をご存知の方、よろしかったらご教授ください。

霧鈴:霧の中の鈴
タイトル:霧の目隠し何も見えぬ、ならば目を閉じ鈴の音を聴け(2月20日)
ブログ開設にあたってのご挨拶的な内容。

もりー:書きなぐソ陪審
タイトル:冠婚葬祭(2月20日)
次のテーマへの前フリ。死刑制度または自殺について、近日中に執筆予定。

かくいうわたくし、えせ記者・小兄はお忙しいので当面、記事を書く時間はないと思われます。が、気が向いたら書きます。

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2006年2月18日 (土)

たばこに思う

喫煙者vs.禁煙車②に関する私見。

しかも「タバコを吸う人は、他の人の迷惑にならないように吸って下さい。 他の人に迷惑をかけなければ、タバコを吸うこと自体はかまいません。」とまで書いてるところに素直に好感が持てる。その後のくだりはなんとも責任回避のいい人論なわけだが。

いやいや、この人は
「迷惑をかけなければ吸っても構わない、という考え方は間違っている」
と書いているわけで…。

でもって、もりーが引用した一文と同ページにある文。

タバコを吸うのが自由だなんて、とんでもない話である。覚醒剤中毒患者が覚醒剤を摂取するのは自由か? コカイン中毒患者は、他人に迷惑をかけなければ自由にコカインを吸っても良いのか?
http://www.letre.co.jp/~iwaki/smokers/smoke09.html

この例えを使って「喫煙自体がいけないことだ」と表現しているわけです。たばこ製造業者を「死の商人」と批難した上で。

だけど、僕の基本的な考え方は
事後の責任を完璧に取れるのならば何をしても構わない
というものであり、従って覚醒剤もコカインも、他人に迷惑をかけず、どのような社会的制裁も覚悟した上で摂取するならそれで構わない、と思っております。
このサイト、全てに目を通したわけではないんだけど、ざっと読む限りでは「喫煙者」=「ニコチン中毒患者」とし、「やめられないだけ」「死の商人がやめられないように宣伝してるから」などとしております。

全面的に反対するわけではないけど、少し違うと思う。

前回の「ヘビースモーカーの主張」にも書きましたが、吸い始めるきっかけはこのサイトの人が書いておられる「まずいけど何か秘密があるんじゃないかと思って吸ってるうちに中毒になる」のではなく、単に「カッコいいんじゃないかなと思って吸ってるうちに習慣になった」とか「付き合いで吸ってみたところ、いつの間にか喫煙者になってた」という程度のもので、たばこ業者がどうとかいった問題ではない。

そもそも子どもの頃にたばこのCM見て「おぉ! かっちょいい!」と思う奴なんて存在するのか?
身近な大人が吸ってるのを見て、なんとなくカッコ良く感じるだけで、まぁ、テレビドラマなどの影響がまったくないと言えばウソになるけど、でもドラマで覚醒剤を注射してるのを見ても「カッコいい」とは思わないし、コカインも同じ。
「身近な人がやってるのを見る」
というのが最も大きな部分。

これも同じく前回に書いたけど、周囲にやってる人がいないことをやろうという発想は起きないと思う。

僕の周囲にはギターなどの楽器をやってる連中がたくさんいたので、自分も楽器を弾いてみたいと思うようになったわけで、そういう連中に出会うまでは「ギターが弾けるようになるには小さな頃から専門的に勉強しなきゃダメなんだろうな」と思って、やろうという気は起きなかったわけです。

たばこが依存症だろうがなんだろうが、周りに吸ってる人がいたから「吸ってみたい」という気になって吸い始めただけ。

そんなに大仰に「たばこを吸うのは業者の思う壺だ」とかいった類のもんじゃない。
やめられない理由は確かに「依存症」だからだと思うけど、やめる気がない人間に「お前は依存症だ、業者の被害者だ」と言われてもなぁ…です。

たまたま店で隣に座った人に「ワタシはたばこの煙が嫌いだから吸わないで」なんて道理が通るなら、
「ワタシは香水の臭いが嫌いだしその成分は体に悪いとされてるから香水を落としてきてくれ」
「ワタシは化粧の臭いが嫌いだし(以下同義で)化粧を落としてきてくれ」
「君の着ている服は化学繊維のホコリを撒いているから脱いでしまっててくれ」
「君の乗ってるクルマから出る排気ガスが私の体に悪いからそのクルマには乗らないでくれ」

・・・・てな具合に「嫌煙者」が「正当な非喫煙者」に便乗して主張するのを真似ると何でも通りますわな。

なかなか知恵がまわりますな。僕はここまで思いつかなかった。
でも、その通りだと思う。
好き嫌いを言う権利は誰にでもある。だけど、その「権利」を「認められてしかるべきもの」と思い込んでるきちがいが多くないですか。

僕は女性化粧品のにおいが嫌いです。好きな香りもあるけど、基本的に苦手。息が詰まる。
化粧品売り場なんて、窒息死寸前です。
時々、厚化粧の人がいますね。
吐き気がする。
若いおねーちゃんでも僕が嫌いな香りを漂わせてる人がいます。

だが!

だからといって「お前ら、化粧するな」とは言えない。たとえそれが苦手な香りでも。

さらに!

たばこの害ってのはすぐには表面に出てきません。だから、あくまでも「疫学的」に間接喫煙の害が指摘されているわけです。
疫学的な統計だからといって否定はしないけど、じゃたばこが原因だと思われる非喫煙者の年間死亡者数って何人ぐらいなんでしょうか。寡聞にして知らないんですが、車は1万人以上ですね。
僕の兄も車にはねられて死にました。
「疫学的な死」、つまり「おそらくそれが原因だと思われる死」ではなく、「直接的な死因」です。

おまけに排ガスってのは油煙なわけで、たばこのような「草が燃えて出る煙」とはわけが違う。
アトピー患者が増加しています。僕もかつては苦しみましたが、あれは排ガスが最大の原因だと言われています。

それなのに「車に乗るのはやめましょう」とは言わない。「車の中でたばこを吸わないで」とは言うけど、「世界から車をなくそう!」とは言わない。

嫌煙家がたばこだけでなく、世界中の体に悪いものを全て根絶しようと主張するなら筋は通っていますね。
でもターゲットはたばこだけ。
だから僕としては嫌煙家がごちゃごちゃ言うのを聞くと「屁理屈」としか思えないわけです。

よく嫌煙者が使う手法に「喫煙の意味」を問い詰める人がおりますが、んなもんはありゃしません。
「意味のあることをやる」「意味のないことをやる」を選んでやるかやらないかは全くもって個人の自由であり、それを(対外的にでも自分自身でも)良いか悪いかを判断するのは5才の子供でもない限り自分の責任。

まさしく。
喫煙の意味なんぞない。
そんなもん問われ始めたら、どんなことでも言えてしまうわけです。
「お前が生きてる意味を教えろ」
ですな。
音楽だって映画だって、意味があるのかと問われれば、何も答えられない。

僕は野球が嫌いです。どこが面白いのかさっぱり分からん。
そんなもんでテレビ番組の放送予定時間を繰り下げるなよ、と思うんだけど、面白い人には面白いんでしょう。
んでもって、見る人が多いから中継時間を延長するんでしょう。

たばこも一緒じゃないのかな。
吸ってる人が多い場所なら吸わない奴らがガマンしろ。

・・・ところでさぁ、賛否両論ないとつまんないんですけど。

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男と女は平等に扱うべし

(1月19日執筆の一部改訂)

過日、取材先で「男と女は平等か」という話が出ました。
また、男女共同参画社会を標榜するイベントの取材に行くこともあります。

今日の会話。

「男女って平等じゃなきゃいけないですよね」

「そうっすよね。能力のある女性が不当に扱われるのはおかしいっすよね」

「さすがに記者さんって、きちんとものを考えてるわ。それに比べて世の中の男どもときたらブツブツ」

別の日の会話

「○○さん、男女平等って明らかにおかしいっすよね」

「お。新聞記者がそんなこと言うとは珍しい」

「あの田…ようこって奴、頭おかしいと思う」

「ワシもそう思う。ブサイクで男に相手にされたことがない女ほど『平等、平等』って叫ぶよな」

「そうそう。あと辻…きよみとかいう奴も大嫌い」

「あいつぁ、まだ罪人のクセしやがって選挙に出るなんて、何を考えてんだろな」

「まぁ、『男女平等』とかいうきちがいどもの考えてることは、我々常識人には理解できませんな」

がはははは。

ということで、ここを読んでる「男女平等派」の人がいたら「なぜ平等なのか」を教えてください。
平等ということは、すべての場面において同じように扱う、ということであり、差別もしなければ区別もしない、ということになります。

僕は現状のままでの男女平等化は絶対反対(というか、不可能と思う※注1)ですが、旅館などの風呂場や、プール、海水浴場の脱衣所も男女平等の基本理念に基づけば、同じにしなければいけないはずなので、まずそこから手をつけるならば男女平等の熱烈な支持者になりますことを誓います。

その上で刑法改正。痴漢、強姦などの性の強要も、「平等」の考えからは性を区別できない、ということになるので改正せねばなりません。
僕としては、やはり性に関する刑法改正はすべきではないと漠然と思うけど※注2、あほうどもが騒げば、終局的にはそういう結論に至る。

てめーだけに都合のいい平等なんぞ、この世には存在せんのだよ、フェミニズム運動に賛同してるきちがい諸君。

「男と女は平等ですよね」って女に言われて、むかついたんで書いてみました。
今度会ったら言ってみようかな。
「一緒にスポーツセックスしようぜ。俺たち平等だからゴムなしで」

----

※注1
ちんちんの有無によって風呂、トイレは別にすべき→区別
ちんちんの有無で人間の優劣が決まる→差別
ちんちんの有無に関わらず機会は均等に与えるべき→同権
ちんちんの有無に関わらず、何もかも同じように扱うべき→平等

個体差や生活環境などに違いがあっても画一的に扱う→平等
個体差や生活環境などの違いは認めつつも扱いは同じ→公平

足が速い人と遅い人がいる→個体差
足が速い人が遅い人よりある場面において特別扱いされる→江戸の仇は長崎で
足が速い人も遅い人もお手々つないで一緒にゴール→死ね

つまり、選挙など男女関わらず有権者であれば画一的に扱える場面において男と女は平等に扱うべきだといえるが、風呂場や運動競技など、男女による肉体的な差が現れる、または現れやすい場面においてまったく同じように扱うことはできない=「公平」「同権」は可能でも「平等」は不可能ではないのか、という意味。

※注2
強姦罪などは精神的な苦痛だけでなく、女は妊娠の可能性があり、出産、堕胎に関わらず金銭的、物質的、肉体的な負担を強いられるが、男はその瞬間だけで終わるという、肉体差による絶対的な違いがある。そのため、「平等」に扱うことは「公平」とはいえなくなる。

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2006年2月17日 (金)

へんないきもの

へんないきもの

へんないきもの 」という本がある。
初版は2004年8月。過去に読んだ「ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語 」を探していたところ、たまたま見かけたので注文してみたのだが、これは! 素晴らしい。

キンチャクガニという、「ボンボン」のようなイソギンチャクを手にもってえさ集めや威嚇をするカニがいるという。
時にはキンチャクガニ同士でそのボンボンを振り合い、相手のカニを縄張りから追い出そうと威嚇しあうという。その説明文の一部。

だが、お互いに手の内がばれている武器で威嚇しあっても何の意味があろうか。このカニは「道具を使う唯一の無脊椎動物」などとおだてられていい気になっているが、一向にそこに気づかぬあたりが甲殻類の限界というものであろう。

甲殻類が「いい気になっている」って…。キンチャクガニからそんな話でも聞いたのか? って感じ。
最初の数種の動物に関する説明文もそこそこ面白いのだが、このキンチャクガニから一気にヒートアップする。惚れた。センジュナマコについては

我々大和民族には真似のできないベタなアメリカン・エロジョークで回答した男性もいて、文化とは何かを考えさせられる。その回答とはこうだ。
「この金玉から生えてる触手は君の食欲をそそったりするのかい?」
思わず真珠湾もう一発、などと考えてしまうがここは忍耐だ。

ここだけをピックアップすると「ナマコとパールハーバー…何の関係があるんだ?」だが、全体を通して読むと、妙に納得してしまう。著者の早川いくをさんの文才。もはや脱帽するしかないですね。 
ラッコに関しては

おじさんたちにとっては、かわいいラッコちゃんも害獣なんだ。がいじゅう、ていうのはわるさをするくそケダモノっていみだよ。

「くそケダモノ」…著者の手にかかってはラッコもボロクソ。

タイトルだけを見ると、子供向けの本のような気がするのだが、中身は完全に大人向けだ。そもそも帯が「お前ら何なんだ」だもんな。変な動物の説明と思って読んでいると、文体、内容が面白いもんでついつい一気読みしてしまうのだが、よくよく考えてみると、動物の説明とは関係ない文章が大量に混じっていて、変な動物の紹介というよりは、ウケ狙いとしか考えられないような内容。久々に面白い本を読んだ。

さて、ワンダフル・ライフを読んだ時にも感じたことだが、「へんないきもの」とはあくまでも「人間主体」の視点だ。奴らにとってみれば人間の方がはるかに「へんないきもの」ではないのだろうか。

まぁ、どっちでもいいけどね。

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2006年2月16日 (木)

ヘビースモーカーの主張

とりあえずこちら参照。

元来は医薬として扱われてたものですか。今の人殺し扱いの処遇とはそれこそ天と地の差ですな。

なるほろ。

うちの会社は完全分煙です。たばこを吸わない奴らが増えてきた。

僕が中学生ぐらいの頃、だいたい20年ぐらい前ですが、たばこといえば「大人の男」のシンボルみたいな印象がありましたね。カッコ良くたばこを吸ってる大人ってカッコいいと思ってました。
だから小学生~中学生時代って、たばこを吸う真似事をしてました。本物のたばこを吸うようになったのは中学2年です。オヤジのたばこをくすねて吸ってた。

喫煙の動機って、ほとんどがこんなもんではないでしょうか。
・親が吸ってるのを見て真似してみた。
・飲み会の席で上司や友達が吸ってたので吸ってみた。

喫煙の習慣がついてしまうと「気付いたら吸ってた」というケースが多くなるようですが、生まれついてのニコチン中毒つー人はいないんじゃないかな。

喫煙者は喫煙の動機についていろいろと語りますが、僕が聞く範囲で集約すると
「カッコつけたかった」
てなところかな。表現方法が違うだけ。
だから「たばこ=カッコいい」というイメージがない人は「たばこを吸う」という発想自体がないのではないかと。それは幼い頃に周囲にたばこを吸う人がいなかったからではないかなと。
僕のように子どもの頃からたばこの煙に慣れてる者にとっては「たばこがある風景」ってのがものすごく当たり前になってます。

さて、昨今の嫌煙ブーム。
喫煙者としては苦々しい思いで見守るしかありません。
たばこって、自分のみならず、間接喫煙で他人にも悪影響を及ぼす可能性がある、ということはなんとなく分かる気がします。
別に科学的データを持ち出すまでもありません。
だから、見守るしかない。

僕の妹は喘息持ちなので、妹のそばでは絶対に吸いません。換気扇の近くで吸ってます。
あと、ちっこい子どもがいる場所でもガマンするようにしています。
それと、人と一緒に食事に行った時には、相手の食事が終わるまで待ちます。

僕が自主的に「喫煙規制」を行うのはその3つのケースかな。
それ以外では「強いられた禁煙」ですね。
「なんでガマンしなきゃいけねーんだ?」
と思うこと多々。

そこで会社の話ですが、完全分煙になった経緯は
「嫌煙家がうるさいから」
です。もうね、この一点に尽きます。
他にも理由はありますよ。精密機械が多いから、とか。
でも、10年前は誰も守ってなかった「分煙」がこの5年ほどで一気に「絶対分煙」になったのは嫌煙家の声が大きくなってきたからです。
その「嫌煙家」なる存在が喫煙者に「禁煙」「分煙」を強いる根拠の最たるものが「間接喫煙による害」。

過去に職務フロアでたばこを吸ってたら言われました。

「ここは禁煙です! 吸いたかったら喫煙ルームで吸ってください!」

「なんで?」

「たばこの煙でワタシの寿命が縮まるんです!」

ふざけるな、と言いたい。ただの屁理屈じゃねーか。
そもそも社会つーのは人と人との関係の中で築かれるもので、どこかで誰かが何かをガマンしなきゃいけない。
自分がガマンしたくないからって他人にガマンを強いるためにヒステリックに屁理屈こねるなよ。

僕の妹みたいに、隣でたばこを吸われると喘息の発作が起きて本当に死に兼ねない人って少なからず存在するんですよね。だから「自分の隣で吸わないで」という権利は誰にでもあると思います。
僕が疑問視してるのは、それに便乗してる奴ら。

僕も一時期、禁煙してたことがあるので、たばこを吸わない人にとって、紫煙つーのは本当に煙たいものだということは知ってます。
だから素直に
「ワタシはたばこの煙が嫌いだから吸わないで」
って言えばいいじゃん。

でも、そういう理由だと
「オレはたばこの煙が好きだからガマンして」
と反論されるから、相手に反論を許さない「間接喫煙による害」を挙げる。
絶対にたばこを吸ってはいけない理由がないなら、その場にいる連中で多数決とって多い方の意見を採用すればいい。喫煙者が多いなら喫煙OK、嫌煙家が多いなら禁煙。どちらかがガマンしなきゃいけないなら、少数派がガマンすればいいんじゃねーの?

会社では愛煙家の方が多いです。だから喫煙室はいつも人でいっぱい。絶対に吸ってはいけない理由は今のところありません。吸わない連中が増えてきた、というだけでまだ喫煙者の方が多数派。なんで多数派がガマンしなきゃいけないの?

喘息などの本当に危ない病気を持ってる人は
「ワタシは喘息持ちだから」
と言いますね。「だから、できればたばこは別の場所で…」とお願いされる。
こちらとしては「知らなかった。ごめん」ですわな。
僕がいう「絶対にたばこを吸ってはいけない理由」はこれ。

そういう人の近くでたばこを吸うのは、愛煙家の僕から見ても「非常識」としか言いようがないんですが、そういう人をタテに愛煙家に禁煙を強いる連中は「卑劣」ですね。

そもそも自分が何歳まで生きられるかなんて誰にも分からないはずなのに、なぜ健康を害する原因をたばこのせいにしたがるのか。
早死にする奴はたばこなんか吸わなくても早死にするんだよ。
僕の兄は5歳の時に死んでます。事故で。
「禁煙」「分煙」でそういう不幸が撲滅されるんなら、今すぐにでもやめますけどね。

「喫煙者vs.禁煙者」に限ったことではないんですが、
「弱者」の仮面をかぶって権利ばかり主張する奴らは大嫌い
なんです。
分煙、おおいに結構。
吸う権利と同様に吸わない権利だってあるわけですから、煙が嫌いならそう言えばいい。
だけど煙を撲滅する前に、いたずらな権利意識を主張する奴らを撲滅すべきだと思う。

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ブログ開始にあたり

特定の事象に対して賛否両論はあって当たり前。

かつて某掲示板で展開されていた3者による様々な議論。
「どの書き込みも消してしまうのはもったいない気がする」。
1人の言葉をきっかけに3つのブログを立ち上げ、ブログ同士で論争してはどうか、と安直な結論に至りこのようなブログを立ち上げた次第です。

3人のうちの1人、中立過激派の「モリー」は既に「書きなぐソ陪臣」を設置完了。保守過激派のわたくし「小兄」によるこのブログ「えせ記者徒然」がようやく立ち上がりました。残るは革新過激派の「むりん(仮)」。

かつて同名のブログがありましたが、ええ。同一人物です。某新聞社に勤務しておりますが、「記者」とは名ばかり。従って「えせ記者」。ブログのタイトルは後ほど変更する可能性があります。

時間がある時におって自論を展開したいと思います。

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