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2006年3月 7日 (火)

憲法改正

大仰なタイトルをつけてみましたが、憲法そのものに対してイエスとかノーとかいう話ではありません。
いま読んでる保守系の書籍の中に「半世紀以上も憲法を変えていないのは日本だけ」という文があったので、前々から漠然と感じていることをメモっておこうと思っただけです。

今回のメインテーマは
「何かを変える」
という行為について。

憲法の内容に関しては、機会があれば書くことがあるかもしれませんが、今回はできるだけ触れないようにしたいと思っています。

さて、現行の日本国憲法ですが、昨今、改憲の是非をめぐる論議が活発化しております。
僕としては改憲賛成なんだけど、なんだかんだいっても最終的には憲法が変わることはないんじゃないかと考えております。

なぜそう考えるのかというと、
「他人がつくったものを変えるのは非常に難しいから」
だと思うわけです。

過去に世界の言語の成り立ち…というか、まぁ大きく括って言語学と言って差し支えないと思うんですが、そっち方面にハマっていた時期がありました。
数冊の専門書を読む中で、ある特徴に気づきました。
例えば英語。
今は「英語」といえば「アメリカで使われている言葉」という認識が強いと思うんですが、「英語」という文字が示す通り、もともとはイギリスの言葉ですね。
一時期、英会話の勉強をしていたのですが、「英語」には「American English」と「Queen's(King's) English」の2種類があるんです。
つまり、「アメリカ英語」と「イギリス英語」。 「アメリカ英語」と「イギリス英語」が存在する、というのは知識として知ってはいたんですが、「同じ英語なのに、なぜ区別するんだろう」という疑問は抱いていました。

さてさて、今から10年近く前の話ですが、イギリスを1ヵ月ほど放浪したことがありました。
日本には「和英辞書」「英和辞書」というのがありますが、イギリスには「米英辞書」「英米辞書」が売っていました。

すげー違和感…

これって要するに、
「アメリカ人とイギリス人が英語で会話しても通じない言葉がある」
という意味なのではないのか、と。

僕が勉強していたのは、日本で広く普及している「英会話」です。「R」と「L」の発音の違いとか、「subway(地下鉄)」とはどういう意味なのか、とか。
その勉強を経てイギリスに行ったわけですが、その時に初めて、僕が学んでいた「英会話」なるものが「アメリカ英語」であることを知りました。
日本の教育機関で教える英語も基本的にアメリカ英語です。だから、その知識をもってイギリスを回ると、通じない言葉・発音が意外にたくさんある。

アメリカって国はもともとイギリスの植民地だったわけで、そこで使われる言葉は当然、英語。
独立から200年という月日が流れても、やはり英語。
なのに通じない言葉がある。なぜなのか。

その後、言語学の勉強をしてみてちょっとした驚きを覚えました。
いま、アメリカで使われている英語は200年前にイギリスで使われていた言葉だそうです。
つまり、英語の本場、イギリスでは200年の間に、言葉の意味や発音がどんどん変わっていった。
だけど、アメリカでは200年前に独立した当時の「古い英語」がいまだに使われている。

つまり、アメリカでは200年前のイギリスの言葉が〈冷凍保存〉されていたわけです。
そして、日本の英語教育現場では、その〈冷凍保存された言葉〉を学んでいる。

翻って日本。
日本では文章は漢字かな混じりで表記されます。
その漢字は中国で発明されたもの。数年前に中国に行った時、中国語を喋れない僕は
「中国では英語はほとんど通用しない」
という話を聞いて、
「筆談でなんとかなるだろう」
という程度の気持ちで行ったんですが、まずもって中国人が書く漢字は読めない。
「簡体字」といって漢字がどんどん簡略化されています。

聞くところによると、中国人も簡体字以外の漢字は読めないそうです。
だから中国人が中国古典を読解する際には、今の日本で使われている漢字を「逆輸入」しなければ不可能。
要するに、日本に留学して日本で使われている漢字を読めるように勉強するんだとか。

つまり、日本は千数百年前に中国で使われていた漢字を〈冷凍保存〉している国なわけです。

僕が読んだ言語学の本には(正確な記述は忘れましたが)、ある特定の言葉が生み出された地域では、その言葉は時代とともに変化していくけれども、それを「輸入」した国では、時代が変わっても言葉・文字が変わることはないそうです。

さて、そこで日本国憲法に戻りますが、議論は分かれるところだと思います。
「あれはGHQの押し付け憲法だから変えるべきだ」
だとか、
「追認した以上、有効だ」
とか。
僕は「押し付け憲法だけど有効。でも改憲はするべき」という立場なんですが、議論しても最終的には「やはり、今のままでいきましょう」(改憲はやめましょう)という結論に至るのではないかと思っている根拠は、上記の言語学的観点からの推測です。
なぜか。

ある言葉を「発明」した人たちは、その言葉の生い立ちやら構造、つまり「言葉の設計図」が頭の中に刷り込まれているから、どこをどう触ればどのように変わるのかが深く考えなくても感覚的に分かる。
でも、それを「輸入」した人たちは、言葉の設計図が理解できないから変えられないのではないんでしょうか。

これは憲法も同じです。現行憲法はGHQの草案をもとに布告されました。
つまり日本人は日本国憲法の「設計図」を理解していない。
大日本帝国憲法(明治憲法)は日本人がつくったものだから、設計図は把握しているけど、現行憲法は日本人が「つくった」ものではなく「追認」したものであって、設計図が分からないから、〈改造〉したくてもできない。

建築物でも同じですね。自分たちが住んでいる家。改築したくても、どの柱がどのような役割を担っているのか理解できていないから、下手に触ることができない。
自分で設計した家屋であれば、「この柱は必要ないから撤去。でもあの柱を取っ払えば家屋が崩れかねないから邪魔だけど残しておく」などとという判断は容易だと思います。
でも、大工さんでもない限り、自分の家の設計は業者任せ。
だから、自分の希望はあっても自分の手で改築することはできない。

話があちこちに飛びますが、日本語の口語体はどんどん変化しています。
僕が小学生から中学生ぐらいの頃って「全然」という言葉は「全然~ない」という用法でなければなりませんでした。
「全然」という言葉が冒頭にくれば、文末は「ない」しか使ってはいけなかった。
つまり「全然」という言葉は、ある状態を否定する時に使うものだったわけです。

今ではどうでしょう。
「全然平気」
「全然大丈夫」
などという言葉はごく普通に使われています。「全然」に否定的意味合いが消えてしまった。 これは日本人の中に「日本語の設計図」が存在するからです。
だから、日本語という範疇においては、本来は別の意味であっても、転用して別の意味として使うことができる。
仮に、どこかの国が日本語を公用語として規定したとします。おそらく、その国では「日本語の設計図」がないので、言葉の転用・変化は起きないでしょう。

なんだか、まとまりのない文章になってしまいましたが、要するに
「自分でつくったものはいくらでも改造できる。でも、人がつくったものを改造するのは非常に難しい」
ということを考えている次第であります。

だから、「改憲したいけどできない」と。

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