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2006年3月 4日 (土)

死刑。その1

僕は法学部出身でして、その中でも刑法専攻。
死刑存廃論はさんざんやりました。ただ、授業にはほとんど出なかったので、とりあえず「書きなぐソ陪審」と「霧の中の鈴」のもりーと霧鈴の考察については次回に譲るとして、死刑制度に関する私見。

まず最初に僕の立場を明確にしておきます。

死刑存続派。

ただし、それは
「死刑という制度が確立されている以上、それは尊重すべきではないのか」
という緩やかな存続派。
もしも現行刑法に「死刑」という罰則規定が盛り込まれていなかったのなら、あえて死刑制度を新たに創設する必要はないが、現行刑法に認められているということは、それなりの根拠があると考えています。

それらを踏まえた「死刑存続派」。

ちょっと分かりにくいかもしれませんが、死刑廃止にはまず刑法改訂。様々な議論がありましょうが、その議論の中で仮に死刑廃止論者が多数を占めるならば、制度廃止も構わない、と思っています。
でも、存廃論が活発化する中、いまだに死刑制度が存続しているという現状を踏まえれば、廃止論者の主張には「感情論」とでも言えるような部分が含まれているように感じます。

刑法というのは全て論理詰めで構成されるもの。民法のように1つの条文に複数の解釈が成り立つような性質の法律ではありません。
例えていうなら、民法が文系であれば刑法は理系。全て理詰めでいかなければ議論は成り立たないはずなのに、廃止論者は感情に訴える。
だから、どれほど騒いでも、現在行われている議論において説得力が乏しく、従って、死刑廃止は現段階では無理だ、と思っている次第であります。

さて、ここで「書きなぐソ陪審」がどこかから引用してきたものに対する僕なりの考察を示しておきたいと思います。

1. 死刑は戦争と同様、国家が合法的に犯す殺人であり、人道上許されない

→戦争は外交の手段であり、国際法では「戦争のルール」が定められている。
また、形式上、司法権、立法権は国民が委任したものであり、両府が死刑という制度を認めているということは、国民の大多数がそれを認めている、ということになります。

従って、「国家が合法的に犯す犯罪」=「国民が委任した司法府が合法的に犯す殺人」ということができます。
この部分を「戦争と同様」という観点で見ること自体がおかしい。

そして「人道上許されない」との主張に対しては、

「ならば、再犯の可能性がある真の凶悪犯罪者の命を救うことは果たして『人道上』許されることなのか」

という問題が浮上してくるはず。
「国家の行う殺人行為」→国民が委任した殺人権
「再犯の可能性がある凶悪犯を救う」→個人による非合法な殺人が繰り返されるおそれがある

つまり、死刑を廃止するということは、自分が被害者になり得る可能性を秘めている、ということになります。

2. 死刑には存置論者が言うような威嚇作用はない

→死刑の適用もあり得る殺人については衝動殺人が多い。
衝動犯罪には確かに威嚇作用はない。
だが、仮に「立ちションしたら死刑」などと軽犯罪を含む全ての犯罪行為に死刑を適用したらどうなるか。
いかなる刑罰よりも抜群に威嚇作用を発揮すること間違いなし。

衝動的な殺人行為は情緒の乱れなどによって引き起こされるもので、そこにはいかなる威嚇作用も働きません。
が、「凶悪犯」と呼ばれる多くの殺人犯罪には計画性がある。 すなわち、「死刑」という威嚇から逃れる術を考慮した上で犯行に及んでいるケースがある。
それでも「威嚇効果はない」と断言するならば、それは明らかな論理のすり替え、つまり、衝動犯罪と計画犯罪の区別をつけていない、ということになります。

3. 矯正を目的とする近代刑事政策に死刑はなじまない

→教育刑か報復刑かで意見が分かれるところ。
今は教育刑が主流となっているが、もともと刑罰とは一種の報復行為であり、犯罪予防のための「見せしめ」の要素が含まれている。
その「見せしめ」の観点から作られた現行刑法に教育刑論を当てはめると当然、無理が出てくる。

現行刑法が教育刑的な観点に基づいたものであれば、死刑制度は「存在してはならない制度」。

それが存在するということは、現行刑法が報復刑の観点に基づいたものだと想定することは容易。

4. 誤審の場合死刑確定囚を救済できない

→そのための三審制。人が人を裁く以上、どこかで過ちは起きる。
だが誤審が起きる「可能性」を根拠に死刑廃止を論じるならば、現在の裁判制度や警察、検察の制度など全てを見直す必要があるのではないか。

といったところでしょうか。
言葉足らずな部分や分かりにくい部分があるのでややこしい話になっていますが、現在のところ、そのように考えています。

まとめると、

現行刑法は報復刑を根拠に作られており、そこに教育刑の概念を持ち出すと制度的矛盾が出てくる。
すなわち、「矯正を目的とする近代刑事政策」を主張するのであれば、死刑制度だけではなく、刑法の理念そのものを変更する必要がある。

「国家が行う行為」とはすなわち、国民の委任を受けて行う行為であり、国民が死刑制度を受け入れている以上は、それは「国家による殺人行為」ではなく、「国民が委任した殺人行為」である。
それを否定することは、「国民は国家に権限を委任していない」という、国家の存続基盤そのものを否定する行為である。

威嚇効果はあるにも関わらず、それを踏まえた上での死刑に相当する犯罪を犯した者は定められた処刑されてしかるべきである。 誤審の可能性はどのような裁判においても起こり得ることであり、それに対処するには司法制度の見直ししかない。

ですね。

つまり、死刑制度を単純に廃止することは、国家の存続基盤を大きく揺るがしかねないことだ、ということです。 ということでつづく。

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