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2006年3月30日 (木)

平等とは―民主主義2

前回の「社会システム」の続き。

足が速い人と遅い人がいます。
ヨーイドンで走らせれば当然、速い人が先にゴールするわけですが、その人に
「ゴールの前で待っとけ。遅い奴と一緒にゴールしろ」
と命じるのは果たして「平等」といえるんでしょうか。

数年前に、教育現場で実際にこのようなことが行われていると聞いて唖然としました。

さてさて、民主主義についてですが、僕は前回

「一神教に基づいて考案された民主主義は、多神教の国・日本にはなじまない」

と書きました。今回は「なぜそう考えるのか」について。

書きなぐソ陪審で、民主主義の定義なるものについて調べてくれております。
エントリーの冒頭に無意味なシモネタが含まれているので、こちらからはリンクを張りませんが、以下抜粋。

君主の対概念として民主なるものを立て、人民(ないしは国民)が主権(支配の正統性および実際の政治権力の双方を含む)をもち授与、為政者たる民主と人民が同じ(治者と被治者の自同性)であるとする政治的な原則や制度。

また、「霧の中の鈴」の「民主主義について」では

宗教観を国家形態の問題にあてはめて解釈するときには、
「神」と「国家元首」の関係に注目すべきでしょうか。
自分でもこじつけの感が拭えない発想ですが、
こういう考え方もできますかね。

もともと性質の違うものではありますが、
例えばキリスト教主流派の場合、
「イエスは神であり、人である」という思想から、
個人が究極的に権力を掌握しうる前提があるととらえることで
アメリカの大統領制を見る手法も考えられます。

日本では、最高神は事実上存在せず、また、
八百万の神の思想から、
「神々は独自のコミュニティを作って『人間的』に生活している」
と言うこともでき、キリスト教的な発想にはならず、
横並びの発想のもとになっているのかもしれません。

という解釈がなされています。

霧鈴が書いてあるように、大昔は「国」には王様がいました。
それを打倒する手段としてロックやらカルヴァン主義やら社会契約論やらが出てくるわけですが、その辺は割愛します。
深く勉強してないから。

ただ、それらの思想の中で「民主主義」というものが打ち出されたということは記憶しております。
(間違っていたらどなたか訂正を)

まず、民主主義というものは、かつて存在した王様も、その支配下に置かれている民衆も、等しく同じ権利を有する、という発想がなければ成り立たないはずなんですよね。

つまり「王様だけ特別(王権神授論)」を否定することから「民主主義」が始まるわけです。

何に対して、何の権利を有するのか、というのが問題になってくるんでしょうけど、一言で表すなら、
「神に対して、存在の権利を有する」
とでもいいましょうか。

「神」とは一神教ではすなわち、「創造主」です。
ヤハウェとかゴッドとかアッラーなどと表現されますが、「創造主」であるという点では同じです。
ユダヤ教、キリスト教、イスラムが「兄弟宗教」と呼ばれるのは、その宗教の発生形態においてでもあるんですが、同じ神「創造主」を崇めているからだとも思っています。

さて、神にとって人を含む「存在」とはなんなのか。
「オレ様が創ってやった存在」
ですね。
王様も人間も、「神が創った」という点では同じなんです。
神様にとっては「塵芥」に過ぎない。
塵芥の中に「特別な塵芥」など存在しない。

ちょっと分かりにくいかもしれませんが、要するに、
「人民も王様も、神様からの距離は同じ」
ということです。
そして一神教の神様は「唯一絶対なるもの」なので、「神様からの距離が同じ存在」ということは、
「存在としては同じ価値を持つ」
という考え方につながる。

つまりですな、「絶対性」がなければ「平等」という概念は生まれない、ということです。
もっといえば、「唯一絶対神が存在しない集団の中では『平等』はない」です。

多神教の国、ニッポン。
ここには「唯一絶対神」は存在しません。だから、「平等」という概念自体が本来、存在できないはずだと思うんです。

上記の通り、「平等」というのは「神と人との距離」なわけだから絶対的なものです。
でも、日本で言われる「平等」という言葉には
「他の人たちと一緒」
という概念が含まれているような気がします。
でも、その「他の人たち」の顔ぶれが変わったらどうなるんでしょう。

小学校や中学校ではいいのかもしれない。
「どの生徒も平等に扱う」
というものであれば、ね。

それは「先生と生徒の距離」における「平等」なわけです。
でも、「隣の人と平等に」というのは非常に相対的なもので、「隣の人」が全然違う境遇であれば「平等」という言葉は使えないと思うんです。

自分は貧乏、隣は金持ち。
「平等に扱え」
と訴えたところで、じゃ、何に対して平等なのか。
選挙権は平等に1票ずつ。
これは「平等」ですよね。
じゃ、納税額は?
これを同じにしてしまうことを「平等」と呼べるのでしょうか。

ここで多神教について霧鈴の指摘、

「神々は独自のコミュニティを作って『人間的』に生活している」
と言うこともでき、キリスト教的な発想にはならず、
横並びの発想のもとになっているのかもしれません。

端的に言えばそういうことだと思います。
多種多様な価値観を認める多神教。
どの「神様」を崇めても構わない。
争わないように「和を以って貴しとなせ」。

これは「人と人との関係」であり、平等思想の根幹をなす「神と人との関係」ではない。
「人と人との関係」において「公平」はありえても「平等」はありえない。
その「公平」とは、非常に相対的なもので、高額納税者が

「オレは毎年1億円以上納税している。あの貧乏人は生活保護を受けてる。なのに同じ1票しか与えられないのはおかしい」

という主張があったとして、
「じゃ、納税額に見合った票数を与えます」
となれば、「公平」とはいえるんだろうけど、「平等」ではないですね。

さて、冒頭に書いた「お手々つないで一緒にゴール」ですが、これ、
「全ての子どもを平等に扱う」
という理由らしいです。
でも、こんなもん、公平でもなければ平等でもない。
「全ての人に同一の結果を強制している」
というだけのこと。

これって…
身体能力が優れていようが、劣っていようが、同一の結果しかもたらさないのだとしたら、
「一生懸命働いた人も、まったく働かなかった人も、同様の金銭を受け取る」
というものに発展しかねない。
このやり方は、まさにソ連が崩壊した理由そのものではないんでしょうか?

…分かりにくい書き方になってしまいましたが、
「平等とは何か」
「公平とは何か」
を曲解してしまうと、「えせ民主主義国家・ニッポン」は崩壊してしまうんじゃないか、冒頭の教育現場の実例はその兆候なのではないか、と思うわけです。

だから、民主主義国家における「平等」という概念が何なのか、正確に理解していない日本人に真の「民主主義」はなじまない、と。

てな具合で続く。

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