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2006年3月 5日 (日)

死刑。その2

さて…何から始めましょうか。
とりあえず、「死刑制度の是非

3. 矯正を目的とする近代刑事政策に死刑はなじまない
誰が「近代刑事政策」を「矯正を目的とする」だけと決めたのか。
たしかに現代の日本人の思考でごくごく常識的に考えるとその文意はなんとなく理解できなくもないのだが、
しかしその「矯正」の思想こそもっと危険ではないだろうか。

にある「誰が決めたのか」という部分ですが、法学者です。
現在の世界的な流れとして「教育刑」という思想がある。これは復讐がどうだとかいった観点ではなく、再犯の可能性がない者も確かに存在する。全てが全て極悪人ではない、刑務所に入れて教育すればかなりの確率でまともな社会生活を送れる者が存在するという事実を踏まえて生まれてきたものです。

一方で新派というのもあって、犯罪を犯しそうな人間は犯行に及ぶ前に刑務所にぶち込んでしまえ、という過激な内容。映画「マイノリティー・リポート」が確かそんな内容だったと思います。
僕はこの思想に一定の理解は示しますが、非常に危険な思想だと考えています。

いずれにせよ、「報復刑」という考え方は古いのだ、ということは頭に入れておくべきでしょう。
それが正しいかどうかはともかくとしてね。

次に「死刑制度
全般にわたって「報復刑」を前提として話を進めていますが、これは
霧の中の鈴」の中の
死刑制度について
にも指摘があるように、被害者側からの視点であり、かつ
「司法の存在がなかった場合にどうするか」
というシチュエーションも含まれており、妙に説得力はあるんだけど、ロジックの構築が多少、弱い気がする。
が、一番重要な部分は

もし社会が応報刑を保障してくれず、かつ遺族自身に復讐する体力も無いときには②の「あきらめる」を選ぶしか残されていないわけです。
現行の法制度はまだ「加害者の人権」と言ってるくらいですから、どちらかといえば全然弱者保護がなっておらず負の連鎖を起こさせる法制度だと思いますが。

だと思いますね。
前にも書いたように今の社会では「報復刑」は許容されていません。一方で加害者の人権は尊重され、被害者は泣くしかない、という、どうしようもない状況にあるわけです。
それでも「負の連鎖」は起きません。

なぜなんでしょう。

これはあくまでも僕なりの考えですが、どのような凶悪犯も人である以上、加害者に被害者(遺族など)が復讐行為に及ぶとそこに待っているのは刑事罰だけです。
殺し方が残忍であればあるほど、復讐した人までもが死刑に処される可能性が高まる。
「復讐」である以上、計画性があるわけですから、一定の情状酌量はあったとしても、重罪が科されることになる。
被害者、遺族はそれが分かっているから復讐したいのは山々だけどできない。
従って、法の裁きを待つしかない、ということになる。

そこで、有難いことに(?)日本には死刑制度がある。司法に権限を委任し、死刑制度を適用してもらうことで、一定の「復讐」が完遂する、というシステムなわけです。

では、死刑制度がなければどうなるのか、というと、一生刑務所から出られないアメリカのような「懲役250年」といった刑事罰を科すしかない。

死刑制度を廃止するなら、上限のない懲役刑。
僕としては、どちらでもいいと思います。
どちらでもいいけど、どちらかは必要であり、現在、死刑制度がある以上はそれを存続すればいいんじゃないのか、というのが僕の考え方ですね。

で、つづく。

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