« 死刑。その5 | トップページ | 死刑。その7 »

2006年3月13日 (月)

死刑。その6

霧の中の鈴の「死刑制度について(3)」から。

「罪と罰をすり合わせる過程」とは即ち「裁判の流れ」であって、
「刑事訴訟法」とは、それこそ淡白に
刑事訴訟の事務手続きを規定したものであると思われます。

そうです。
これに関しては書きなぐソ陪審の「死刑制度⑦」でも突っ込まれております。

まずもって刑訴法というのは
「訴訟の手続きを定めた法律」
であり、それ以上のものではありません。
改めて自分の文章を読み直してみると、誤解を招く書き方をしております。すんません。

ということで、ちょい軌道修正して刑法のみでいきましょう。

2人の論調を読んだ率直な感想ですが、2人とも
「刑法には幅がある」
という点を指摘しておるようです。
んでもって僕が以前にこのブログで書いた
「刑法は理詰めでなければならない」
という点に疑念を差し挟んでいるように感じます。

まずここの齟齬を解消しておきましょう。
僕が「刑法は理詰め」というのは、
「法を破れば逮捕される」
という点です。
これは他の民法や憲法とは明らかに違う点です。

民法は1つの条文に対し、様々な解釈が成り立ちます。
憲法もまたしかり。9条なんてその最たるものですね。
でも、刑法は違います。

「人を殺してはいけない」

それだけです。解釈もクソもない。ダメなものはダメ。それだけ。

民法では様々な解釈があるので、違反しても有能な弁護士がついていれば正当化することは可能です。
でも、刑法では正当化できません
「急迫不正の侵害があったとき」
に限り正当防衛なるものが適用されますが、それも正当防衛(または緊急避難)に関する規定があり、その規定をクリアしなければ、やはり殺人です。

僕が知ってる範囲では、解釈が分かれる条文は「使用窃盗」のみです。
死刑とは関係ないんですが、一応、説明しておきます。

車など、他人の所有物を無断で使った(盗んだ)。だけど、後で持ち主に返した。

これが「使用窃盗」です。
これは「無罪説」が有力ですが、「有罪説」も存在します。

無罪説は、一時的に所有権を侵害したが、もともと所有者に返す意思があり、実際に返したのだから無罪でいいのではないか、という説で、判例でも無罪になっています。
一方の有罪説は、例えば車そのものの所有権は回復されたが、使用していた期間にタイヤが磨耗している、ガソリンを使った。だから、車を盗んだことにはならないが、それに付随する消耗品は「盗んだ」ことになるのだから有罪だ、です。

ついでといってはなんですが、正当防衛に関して。
これはどの国の刑法にも定められていますが、日本では正当防衛が認められることは非常に少ない。
でも、アメリカなどでは非常に多い。
この違いは「民間人に銃器の使用を認めているか」というのがカギになっているようです。
銃器の使用を認める国では正当防衛で無罪、というケースが認められやすく、日本のような銃器の使用を認めない国では正当防衛は認められにくい。

…話がそれましたが。

なにぶん、法律を専門的に学んだのは今をさかのぼること10年以上になるので、記憶があやふやになっている部分もありますが、そのあやふやな記憶においても
「刑法は理詰め」
という印象は明確に覚えています。
つまり、霧鈴が主張する

いえ、「論理詰めで」構成することは可能ですが、
「数学的」に、たった一つの答えを導くことは絶対に不可能です。

は明らかに「違う」と断言させていただきます。
「数学的」に、たった一つの解を導くことは可能ですし、導かなければならないのが刑法です。

霧鈴&もりーは、量刑の部分で「不可能」としているわけですが、その前段において、
「人を殺せば犯罪者」
というのは非常に数学的です。僕はこの部分において「理詰め」としているため、2人には納得できなかったのかもしれません。
僕は量刑に関しては「理詰め」とは書いていません。

僕は以前にも書いた通り、法学部出身です。つまり文系。
でも、もともとは哲学者志望だったので、論理的な思考法が得意…というか好きなんです。
だから、A地点という出発点からあらゆる派生が出てくる民法や憲法は苦手。

だけど刑法は「AだからB、BだからC・・・」と理詰めでZ地点まで持っていけます。
従って、純粋な文系の人間は刑法が苦手。
一方で理系的な思考ができる人間は刑法が得意、というのは事実です。
実際に大学では民法ゼミは常に定員オーバー、刑法ゼミはいつも定員割れしていました。
そこで
「刑法は理系的」
という表現を使った次第です。

刑法においては、ある行為に関して
「犯罪か否か」
のみが論点になります。
量刑は裁判官が決めることであって、刑法はその量刑の選択肢を提示しているだけ。

僕が覚えている刑法の論文試験の問題を例示してみましょう。

Aが持っている拳銃をBが盗んでCを射殺した。
いかなる犯罪が成立するか。

所有権とか占有権などという概念で論文を書くわけですが、そこらを端折って答えを書くと、
「Bには窃盗と殺人の罪が成立する」
です。
量刑は「解」ではありません。

確かに刑法には量刑に関して幅を持たせていますが、要は
「ある行為をしたときに、どのような犯罪が成立するか」
であり、この部分が非常に論理的、数学的なんです。
犯罪が成立すれば、あとはどうするか、裁判で決めるだけ。
それは個別具体的に判断すべきもので、だから量刑に幅を持たせている。

従って、刑法というのは
「構成要件該当性を満たしているか」
「予見可能性はあるか」
「責任能力はあるか」
だけを論じればいい。
感情は二の次になるわけです。

まぁ、今までさんざん書いておいて、こういうオチをつけるのもどうかと思うんですが、
刑法と死刑制度とはあまり関係ない
ということになってしまうわけです。

そりゃね、確かに刑法には「死刑」という刑罰が明記されてますよ。
教育刑か報復刑かで議論は分かれますよ。
でもね、それは刑法議論において、犯罪が成立した場合にどうするか、ということであって、刑法では
「ある行為が犯罪になるのかどうか」
だけの話なわけですよ。諸君。

つまるところ、死刑存廃論は、刑法を超えた部分の議論なわけです。
だから、結局は刑法云々ってのは、さほど問題にはならない。
「刑法の理念」が問題になってくる。

その理念とはすなわち、「教育刑」か「報復刑」か、なわけです。
「無限の可能性を~」とか、「感情的な側面を~」
などといった議論ではないのであります。

僕が書いたもの、特に最初の「死刑。その1」には、刑法云々の話よりも「国政は国民が委任したものであり~」などといった点に主眼を置いているのは、
「死刑制度は刑法とはほとんど関係ない」
と考えているからなのです。
その後はグタグタになりましたが…。

ま、端的に表現すると、
「刑罰は報復刑。そして現在、死刑制度がある。だから認める」
です。
そして、死刑制度を論じるには、まず「報復」か「教育」かに決着をつけなければならない。
霧鈴やもりーが書いてるような「刑法には幅があって云々」などという小難しい話ではない。

ということで、眠い頭で書いてるので隙だらけではありますが、今回はこの辺で。

|

« 死刑。その5 | トップページ | 死刑。その7 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/49796/1016646

この記事へのトラックバック一覧です: 死刑。その6:

» 死刑制度⑪ [書きなぐソ陪審]
はい。では、先送りになってしまった えせ記者徒然 の 死刑。その6 へ。 うーーーん。 正直、触れずに飛ばしたかったここは。(いろんな意味で。) まぁあえて触れるのもおもしろいから書きましょう。ふふはは。 >「刑法は理詰めでなければならない」>という....... [続きを読む]

受信: 2006年3月19日 (日) 23時31分

« 死刑。その5 | トップページ | 死刑。その7 »