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2006年3月25日 (土)

刑法議論終結へ

もともとは「死刑存廃論」から始まった話がいつの間にか「刑法論」に変容しておりました。
ここでいったん整理し、主張の違いを明確にした上で終息へ向かいたいと思います。

「刑法議論」に突入していったきっかけは「書きなぐソ陪審」のもりーが提示した

「刑事罰メニュー制度」

に僕と「霧の中の鈴」の霧鈴が

「それはダメだ」


と反論したことだったように記憶しています。
全文を読み返したわけではないけど、少なくとも僕の記憶ではそこが発端です。

「刑事罰メニュー制度」とは、僕が解釈した範囲では
「刑法運用には『感情』を大幅に導入すべき」
というもの。

それはもりーが

今回、改めて条文を読んでみて考えが変わりました。
「感情的な面は極力入れるべき」
と書きましたが、実際は
「感情的な面は絶対に勘案しなければならない」
でしたね。
徹底論戦③ 「vs.小兄」編

と書いてあることからも明らか。

一方で僕は
「罪を成立させるまでは論理的に、罪が確定したら感情も勘案する」
という主張です。

もっと分かりやすく表現すると、
「刑法は被害者の感情を最優先すべきだ」
という主張と
「少なくとも罪が確定するまでは、感情は排除すべきだ」
という相反する考え方が、現在のような専門用語が飛び交う、一般の人から見れば敷居が高いものに発展してしまったわけです。

ここでいったん、僕の基本姿勢を。

ものごとには「絶対的に正しいもの」は存在しない。

どのような問題であろうと、それが僕のスタンスです。
つまり、相反する主張において、
「どちらか一方が絶対に正しい」
と判定することは不可能だ、と考えています。
となると、
「より多くの人が納得できる主張を採用せざるを得ない」
ということになるわけです。

閑話休題。

ここで刑法議論に終止符を打つべく、非常に具体的な例を挙げて僕ともりーの主張を検証してみましょう。

【事例】
僕ともりーは刑法議論を行っておりました。
もりーは「感情を優先すべき。罪を確定するには条文のみで構わない」
僕は「罪を確定するには様々な論証が必要。罪が確定した後に感情を勘案する」
というスタンスの違いを、あれやこれやの解釈、学説を用いて論じてきました。

さて、その議論の中で、以下のような書き込みがありました。

池袋のイメクラでヌキヌキ → 日暮里・巣鴨のホテヘルでヌキヌキ → 上野の東北出稼ぎ売女でヌキヌキ →秋葉原の同人喫茶でヌキヌキ → 新橋の地下サロでヌキヌキ → 品川のソニーでヌキヌキ(ヌケんか) →五反田の高級ヘルスでヌキヌキ → 渋谷の援コギャでヌキヌキ → 原宿の家出女子●生でヌキヌキ →代々木~御茶ノ水の予備校生や大学生に「俺、●大生。教えてあげるよ」と何を教えてるんだかヌキヌキ →そして新宿以北エリアの馴染みのヘルスに「あー、やっぱここがいちばん落ち着くわー」とお帰りあそばす毎日山手線内を渡り歩いて忙しかった小兄

だから、忙しくて刑法の勉強などロクにしてないだろう、と続いていきます。

ここで僕が「名誉を傷つけられた」と被害届けを出した、と仮定しましょう。

【もりー説】
もりー説では被害者の感情が最優先されるわけですから、途中のステップはすっ飛ばし、条文と被害者の感情のみで「犯罪成立=刑事罰適用」と解釈できます。
すると、僕が被害届けを出した時点で、もりーには「有罪判決」が下される。

要するに、上記引用文だけで、個別具体的な検証もなく、僕が
「名誉を毀損された」
と訴えただけで、一発レッドカード。

【小兄説】
僕の説では様々なステップを踏んだ上で「それが罪にあたるかどうか」を検証し、有罪か無罪かを判断する。
今までは用語乱発だったので、僕の説を別の表現に置き換えてみましょう。

「ステップ」を便宜的に「X」「Y」「Z」とします。
その「X」「Y」「Z」にはイエス(1)とノー(0)しか答えはありません。
そして「罪」を確定させるためには
「X」×「Y」×「Z」=1
でなければならない。
すなわち、「X」も「Y」も「Z」も「1(イエス)」でなければ罪は成立しない。

でも、途中で例えば「Y」=0(つまり「Y」要件は満たされていない)という結論が出たら、「X」と「Z」が「1(イエス)」であったとしても
「X」×「Y」×「Z」=0
となり、罪は成立しない。従って、刑事罰も適用されない、というものです。

【検証―もりー説】
もりーが

「感情的な面は絶対に勘案しなければならない」

としたのは、おそらく「刑事罰適用の段階」における話かと思いますが、一方で

>問い
>甲が乙から盗んだ拳銃で丙を射殺した。
>当時、甲は麻薬を使用し錯乱状態にあった。
>(いかなる刑法犯罪が成立するか)述べよ。

刑法犯罪が成立しそうなのは
甲の
「拳銃を乙から盗む」―――― 窃盗罪 
「拳銃で丙を殺す」 ―――― 殺人罪
の2点のみ。

つまり
「麻薬を使用」「拳銃の不法所持」は刑法に該当無しなので、
「窃盗罪」と「殺人罪」。 状況により併合罪となる。
か、もしくは
刑法31・32・34の2・35~39・41・42・66~72条各規定により、
上の「窃盗罪」「殺人罪」、もしくはその併合罪(殺人罪)が
状況により免除・失効・減軽を受ける。
ですね。

ともしています。これはつまり、
「拳銃で丙を殺すだけで、個別具体的な事情とは関係なく有罪」
と解釈できる。

ということは、僕が「名誉毀損だ」と訴えた場合、個別具体的な事情とは無関係に、僕の一方的な感情と、条文に違反しているという点だけで、もりーに
「有罪」
という判決が出てしまう。
その上で、どのような刑罰を科すのか判断する。

突き詰めれば、
「オレは被害者だ!」
と誰かが訴え、それが条文違反と認められれば、他の個別具体的事情とは無関係に「有罪」となる。

ここで僕が最も危険だと思うのは、
「人間の感情とは非常にあいまいなものである」
という点です。
また、その日によって感情に浮き沈みが生じる。
僕の機嫌が悪い日に、誰かに
「お前ってバカだなぁ」
と冗談半分で言われて、僕がカチンときたら、その人は「有罪」になってしまう。
逆に
「お前なんか死ね」
と冗談半分で言われて、
「お前こそ死ね」
と言い返して、相手の気分を損ねたら、僕の方に「有罪判決」が下ってしまう。

【検証―小兄説】

上に掲げた「僕が名誉毀損で訴えた」場合、
「X」は1か0か。
「Y」は1か0か。
「Z」は1か0か。
という検証がなされる。

で、もりーの書き込みには「グレーゾーン」がある。
まず、「小兄」は「偽名」であり、僕という人間は存在するけど、「小兄」という人間はいわば
「架空の人物」
ともいえる。
そして、もりーの書き込みは、僕の人格を貶めたものではなく、もりー自信の知性、品格を自ら貶めただけのもの。
実際問題として、もりーの書き込みによって何らかの実害が発生したわけではない。
また、そもそもからして、この3者ブログは「知的遊び」であって、実生活に反映されるものではない。
・・・などなど。

いくら僕が「名誉を傷つけられた」と主張しても、
「果たして断定的に『名誉毀損』と言えるかどうか」
という点において「グレーゾーン」が存在するわけです。

でも、「X」「Y」「Z」には「イエス(1)」か「ノー(0)」しか存在しない。
「グレーゾーン」があるということは、
「どこかで『1』ではない部分が存在する」
ということになる。でも、「1」か「0」しかないわけだから、「1」ではないということは「0」になる。
すると、
「X」×「Y」×「Z」=0
となり、もりーは「無罪」という結論が出る

さて、上にも書いたとおり、人間の感情には浮き沈みがある。
だから、僕が本気でもりーの書き込みに「怒り心頭」となることもあるかもしれない。
だけど、「X」「Y」「Z」という関門を設けることにより、
「条文に違反してるから有罪」
という答えには直結しなくなる。

【小兄的結論】

現状において僕が死刑存続論者であるのは、死刑適用の前段にある「罪」の構築が非常に論理的なもので、納得できるものだからです。
つまり、「感情」なるあやふやなものによって、「有罪」→「死刑」とはならない制度が現状において存在するから。

もしも、もりー的な解釈で運用すると、「感情」というあやふやなもので「罪」が構築されるわけだから、「被害者」を名乗る人物によって、「加害者」とされた人の諸権利が奪われてしまう。
途中の説明をぶっ飛ばして言うと、もはやそこには「有罪」「無罪」という概念すら必要ない。
「好き」「嫌い」だけで刑務所にぶち込んだり、ぶち込まれたりする。

なぜ関門が必要なのか、というと、「刑罰」というものは人の財産、時間、名誉を侵害する行為であり、それを適用するには、大前提として「明確な罪」が必要だと思うからです。

「被害者」を名乗る人物の、その日の気分によって「有罪」と「無罪」が分かれてしまう、という運用方法は悪用される可能性が非常に高い。
「あいつが嫌いだから」という理由だけで、「すれ違いざま、たまたま肩がぶつかった。暴行罪で訴えてやる」ということも可能。
「公務員は税金ドロボー」とブログに書いて、それを読んだ公務員が「名誉毀損だ」と訴えれば問答無用で有罪。
それを考えるともりーは『常習犯』ですな(^^

いずれにせよ、そのような考え方を持っている者が死刑存続派にいるというだけで、死刑廃止論者に
「なぜ死刑がダメなのか」
という論理的根拠を与えることになってしまいます。

もしも「消費税などケシカラン。あんなもんを考えた奴はアフォだ」と批判して、考案者が
「不愉快だ。名誉を傷つけられた」
と訴えれば、即有罪。
さらに進めば、法律すら必要ない、という論に発展してしまう。
それがもっと進めば「独裁国家」を認めることになる。

だからこそ、刑罰の前提となる「罪」とは論理的に構築されなければならない。そのためには様々なハードルを設けなければならない。

よって、刑法の運用は、ルールを定めて、最初は徹底的に理詰めで、罪が確定された時に初めて「感情」を勘案する、という方法が望ましい。
もしも、もりー的発想で現行刑法を運用するのであれば、僕は死刑を廃止すべきだと思う。

【判決】
今までの議論は僕ともりーとの間で展開されてきたもの。
現時点で双方、いずれも譲らない、という状態になっております。
「どちらが正しいのか」
という点は上の方にも書いたとおり、僕は

「絶対的に正しいものは存在しない」

というスタンスですので、僕の方が絶対に正しいとは思っていません。
僕の主張は、あくまでも「小兄的に正しい」もので、第三者が見れば「もりーの方が正しい」という結論が出るかもしれません。

さて、幸いなことにこのブログは「3者ブログ」であります。
僕ともりーが延々とやり合っていても、絶対に結論が出ません。
そして現在、霧鈴はこの議論の展開に完全に乗り遅れた形となっております。

そこで、今回の議論における「判決」を霧鈴裁判長に委ねたいと思います。
その「判決」をもってこの議論は一時終了、ということでいかがか。
 

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