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2006年12月31日 (日)

大晦日

世の中に蠢く一般のみなさま。
あと数時間で2007年になります。
年末年始はいかがお過ごしでしょうか。
どーせ7連休とか10連休とか大型連休があって、実家に帰って、やれ
「お年玉がどーだ」
とか
「年賀状があーだ」
とかいいながら小さな幸せを噛みしめてるんでしょう。
今年の紅白歌合戦はどっちが勝つか、なんてこと言いながら、1年後の今日には
「そーいえば去年はどっちが勝ったんだっけ?」
とか言ってるんでしょう。

僕ですか?
いま仕事中です。
ええ。この記事は31日の午前3時に書いて、アップする時間を指定してますから、みなさんがこれを読むのは僕が仕事してる最中です。

「新聞社って大晦日の夜中まで仕事なんだ~」

なんて言ってる人もいるんでしょ。どーせ。

でもね、1月1日に配られる新聞って、誰が作ってると思ってるんですか。
我々が年越しそばも食わずに、紅白歌合戦でどっちが勝つかなんて、「娯楽」としてじゃなくて、「ニュース」としてしか見てないような状態で作ってるんですよ。
あなた方は正月紙面なんて、ぱらぱらめくって、三が日のテレビ欄だけ抜き取って、半日もしないうちに
「古新聞」
扱いするんでしょうけどね。

そもそもね、「古新聞」って表現、どうなのよ、ですよね。
「それって、古いの? 新しいの?」
みたいな。

考えてみてくださいよ。
新聞作るのって、年賀状のデザイン考えるよりはるかに難しいんですよ。
「あーでもない、こーでもない…」
って頭ひねって、デザインと言葉をひねり出してるわけですよ。
そうやって自分が苦心して作り上げた労作の紙面が、ある日、八百屋とかで大根に巻かれたりしてるわけです。

インターネットで例えれば、
http://www.higuchi.com/404/
の愚痴がなんとなく理解できてしまうんですよ。
「他人事じゃねーな」
なんてね。
まぁ、僕は機械じゃないけど…

そういうことで、来年もよろしくお願いします。
年末という貴重な時間を使ってここを見にきてくれた、ある意味、不幸な人生を送っている人たち、来年はいい年になるといいですね。
幸せな連中は、たまには悲惨な一年を送ってみるのも一興かもしれません。

僕だけ幸せになれればいいのに…

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2006年12月28日 (木)

日本の核武装

時々、ふと思うことがあるんですよね。

「日本が戦争しないためにはどうすればいいのか」

いろんな方法があると思うんですが、少なくとも憲法9条は何の意味も持たない、ってことはまともな眼力をもっていれば分かると思うんです。

あれは「他国を攻めません」であって、他国から攻められたらどうすればいいのか、という点は黙殺してます。
だから「自衛隊」という、不可思議な組織が存在する。しかも、こじつけ解釈で。

憲法9条は変えるべきだとは思うんだけど、現在の東アジア情勢を見るに、やはり北朝鮮の核問題が気になります。
6カ国協議が不調に終わったあと、あの国のメディアは天皇のことを「倭王」、日本に対しては「倭国」「島国」などといった蔑称を使い始めています。
どうやら完全になめられてしまっているようで。

実際のところ、どうなのか、いまいちハッキリしない部分もありますが、やはり「核保有国」になったのではないのか、と。
しかも、どこに落ちるか分からない核弾頭。

原発に落ちたらどうなるんだろう…

さて、北朝鮮。
あの国が本当に「核保有国」だとして、それを平然と打ち込める国があるとすれば、日本しかないでしょう。
韓国は「同朋の国」だから打ち込むと後々、厄介なことになる。
少なくとも、宥和政策は即時解除。現政権が失脚して、対北朝鮮タカ派が台頭してくることは間違いない。
いや、現在停戦中の朝鮮戦争が再開されれば、北朝鮮はたちどころに崩壊するでしょう。
中国、アメリカ、ロシアは「核保有国」だから、打ち込めば核による報復が待ってるだけ。

その北朝鮮に核を打ち込ませないためにはどうすればいいのか。

日本を核保有国にするしかないのではないか。

「非核3原則」ってありますね。
また、広島、長崎の経験から、核兵器に対する極度のアレルギー反応もありますね。

「同じことを繰り返しません」

それはそれでいいんだけど、核兵器落としたのはアメリカであって、日本軍が日本に落としたわけじゃない。
だから、「繰り返しません」じゃなくて、「繰り返させません」じゃなくてはならないと思うんです。
つまり、
「二度と他国から核攻撃を受けないような国にする」
ということが大事なのではないでしょうか。

そのためには、抑止力としての核が必要でしょう。

打ち込まれても、領海外で打ち落とせるだけの完璧なミサイル防衛網があれば、核は不要だと思います。でも、いまの防衛網は完全ではない。

ならば、
「日本は二度と被爆国にはならない」
という意思表示としての核兵器が必要
なのではないでしょうか。

中国は猛反発して、下手したら宣戦布告してくるかもしれないし、北朝鮮も韓国も一斉に批難するでしょう。
でも、アメリカは、日本の外交筋が上手く説得すれば、それほど反発しないような気がする。

仮に、世界中から批難されても、核兵器を装備したら、それで「勝ち」だと思うんです。
インドもパキスタンもそうだったように。
そして、核さえ持っていれば、たとえどこかから宣戦布告されても、核による抑止力が働いて、敵国も核を使えない状態になる。
つまり、核戦争にはならないわけです。

が、現状では、攻め込まれたら、たとえ自衛隊が奮戦しても、核1発を東京に打ち込まれたら、国家機能がマヒして、敗戦、占領、ってことになりますよね。

お断りしておきますが、
「絶対に核武装を」
ではありません。
他国から仕掛けてくる戦争に対する抑止力として、代案があればそれでいいんです。
でも、これといったものがない現状では
「やっぱ核なのかな?」
と思うだけ。

「核兵器はダメだ! キーッ!」
という、「核アレルギー」は横に置いて、核武装も視野に入れた議論をすべき時期なのではないのかな、と考えている次第です。

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2006年12月27日 (水)

合コンの続き

25日夜、クリスマス当日。前回のエントリー「合コン」に書いた「才色兼備」の女の子と会って来ました。

僕が普段無口なもんで、
「途中で会話、途切れるだろーな」
なんて思ってたんですが、相手がよく喋ってくれる子だったので、3時間ぐらい延々と居酒屋で喋ってました。

他愛もない会話。

でも、相手は酒が飲めないとかで、僕一人で延々と飲んでしまって、会話の内容は断片的にしか覚えてません。

さて、相手はちょっと遠くに住んでるんで、10時半ごろに
「そろそろ電車がなくなるから」
ということで帰ることになりました。

飲み屋の勘定は、こちらが全額払ったんですが、2人きりで初めて会う時に、全額男が出すのはあまりよろしくない、なんてことを聞いてたんだけど、最初は相手は「半分払います」とか言ってのを「いや、いいよ」なんてことを言ってました。

狙いは一つ。
「もう一度、誘ってもいい?」
と聞いてみて、イエスだったら、
「じゃ、次は君が多めに出して」
といこうかな、と思ってました。

が!
「また誘ってもいいかな?」
って聞いたら、
「え。いや、それは…」
と。

そこで確信しました。
「この子とは二度と会うことはないな」
と。

いやね、居酒屋での会話の途中に気付いたんです。
「彼女は俺に興味があって、今日、会いに来たのかな」
と思ってたんだけど、どうも違うらしい。
「紹介してくれた○○さんの手前、メール送らなきゃいけないと思って送ったんです」
なんだって。

要するに、僕に興味があるわけじゃなく、仲介役の先輩の顔を立てるために誘いに乗っただけであって、脈があるとか、そういう次元の話ではない。単なる「義理」だったわけです。

それに途中で気付いたから、あえて帰り際に、再確認のために
「また誘ってもいいかな?」
って聞いたら、上記の通り、はぐらかされた。

「やっぱ、そうか」
と。違ったんだな、と。

電車の改札口で、一応、
「家に着いたらメール頂戴ね」
と言いました。

僕はだんだんと酔いが回って、家に帰ったころには、前後不覚の一歩手前。
このまま寝てしまおう、と思ったんだけど、
「相手からメールが来るまでは…」
と頑張って起きてましたが、べろんべろん。

しばらくしたら「家に着きました」という旨のメールが入りました。
かなり酔ってたので、返事を送ったのかどうか、覚えてない状態。

数時間後、酔いが覚めて起きてみたら、送信済みメールに
「もう一度会いたいと思ってます。好きになれるかどうか分かんないけど、なれそうな気がしたから。でも、気乗りしなかったら返事は送らないでね。その時はあきらめます」
という文面のメールが残ってました。

ええ。もう目の前が真っ暗になりましたよ。
2人きりで一回会っただけで、いったい何を書いてるんだ、俺は?
酔ってたからとはいえ、暴走しすぎじゃねーか、です。
ものすごく自己嫌悪。

一応、その後、
「昨晩はごめんなさい。酔ってメール書くもんじゃないね。反省してます」
と送っておいたけど、もはや修復不可能
返信もなし。

なんだかね、いまものすごく複雑な気分。
「このまま逃したくねーな」
って思いと、
「どうせ義理だったんだから、これで切れてサッパリしたな」
って思いとが錯綜してます。

どっちかというと、
「もう一回ぐらい会っておきたいな」
という気持ちが強いんだけど、僕が送ったメールの文面からして、彼女の立場になって考えてみると、
「返事出したら、『彼女確定』状態になる」
ってなもんでしょう。
おまけに、こっちからは「返事がなかったらあきらめる」って送ってるから、メール送れない状況だし。

ま、こういう失敗もアリかな。

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2006年12月23日 (土)

合コン

2週間ほど前、会社の先輩に声をかけられ、合コンなるものに出席してきました。

正直、キライなんですよね。
男何人かと女何人かで集まって、酒飲んで
「メルアド教えて」
とかいうのって。

でも、会社の先輩の誘いだし、勢いでOKしちゃったから、引くに引けず、ちょっと遠方(といっても、電車で1時間ちょい)だけど、まぁ、たまにはアリかな、楽しく飲めればそれでいいや、ってな感じで行って参りました。

会社の男3人プラス幹事役の先輩1人。
対する女の子は2人。

男性陣の構成は、幹事役除く男3人。内訳は先輩1人、後輩1人と僕。
そのうちの1人の先輩が空気読めない人で、こっちが一生懸命に女の子たちに話をふってるのに、途中で、すぐに仕事の話、自分の話ばかりして、話の腰をことごとく折る。

話が弾まないの何のって、そりゃもう悲惨な合コンでした。
僕は早々に「遠くまで来たんだから、女の子1人、ゲットできたらいいな」という淡い希望をあきらめ、「楽しけりゃそれでいいや」状態。

が、その翌日、思いもかけず、女の子からメールが来ました。
「食事でも酒でも、気軽に誘ってくださいね」
みたいな内容でした。

いや、そりゃもう、「絶対無理」と思ってた合コンだったわけだから、メールが来た、って時には
「なんであの合コンでメールが来るのかな?」
と不思議でなりませんでした。

まだ1回会っただけだから、なんとも言えないんだけど、印象は
「才色兼備」
でしたね。

んで、とりあえず近日中に2人で飲みに行くことになりました。

僕は何かを選ぶときは、第一印象で決めます。
「才色兼備」
申し分なし。うまくいくといいなぁ…なんて思ってます。

既に淡い恋心まで抱いてしまってるし…

ただ、現時点ではメールのやり取りだけ。
相手は僕をどう見ているのかは、サッパリ分かりません。

さて、この後、僕と彼女はどうなることやら。
たぶん、次に会って、それで終わり、ってことになるかと思いますが、世の中って何がどう転ぶか分からないわけで、もしかしたら…結婚?

なんてことを考えながら、ほぼ毎日のようにメールを送り続けています。
2回に1回ぐらいは返信が来るんだけど、三十路過ぎの合コンってそんなもんなのかな?
でも、僕がこれほどマメにメールを送り続けたのは、実はこれが初めて。
たいていは1~2週間でネタが尽きる。

マメじゃない僕がこれほどマメになっている、ということは、自分ではあんまり意識しない…というか、ダメならダメでいいや、と思ってるんですが、心の別のところでは
「これを逃しちゃならない」
と無意識に感じてるんでしょう。

僕はとかく男女関係を良好に続けるのが苦手でね。
それでも、ここまでマメになれる相手ってのは今までいなかったわけだから、やっぱ逃しちゃならないのかな?

ということで、わけの分からないエントリーでしたが、折を見て彼女とどうなったのか、どうなっているのか、報告していきたいと思います。

次回の報告で終了、ってことにならないことを願いながら。

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2006年12月 9日 (土)

正義といじめと戦争と

過日のエントリー、

「教育基本法改正」
http://showkei.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_ff13.html

にコメントがつきました。
コメント欄でお話しても構わないんですが、あえて新たに項を起こしてみたいと思います。

「大東亜共栄圏って…」
という点についてなんですが、僕はそれを「悪だ」とか「正義だ」とか、一概に言い切れるものではないと思っています。

長文ではありますが、過去に

「メディア・リテラシー」
http://showkei.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_3090.html
「メディアと正義」
http://showkei.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_0f45.html

にも書いたことがあるように、「正義」は決して一つではありません。時代とともに変遷し、そして人の数だけ正義が存在する。
現代社会において「悪」とされる侵略行為でも、時代背景によっては「正義」とされることがあるわけです。

強国に追い詰められ、逃げ場を失った当時の日本政府が、陸軍の暴発により戦争を起こしてしまった。
そして負けた。

コメントを寄せてくださったYoshiさん(http://geocities.yahoo.co.jp/gl/yoshiaki_takenaka)の主張を読むと、
「一理も二理もあるな」
と納得できる部分多々。

基本的に、「左翼思想がキライ」という点では一致しているのではないか、と。
ただ、「出来事を多角的な視点から眺めてみる」という僕のスタンスとは微妙なズレがある。
僕は左翼思想を喝破する必要はない、と考えています。
左翼思想にも「正義」は存在する。
ただ、その論調の出発点において、誤認識がある、という部分を指摘した上で、議論を交わす必要がある。
完全に論破して、左翼的思想を一切認めない、となると、言わずもがなですが、それは大政翼賛会の世界になってしまうのではないか、と。
(ちなみに、僕がサヨを嫌いなのは、僕のような右翼系の論調に対して「一切聞く耳持たない」とか、こっちが認めるまで徹底的に論戦を仕掛けてくる、負けると個人攻撃にはしる、という点で嫌いなわけで、「妥協点を探ろう」という姿勢の左翼論者は嫌いではありません)

「大東亜共栄圏思想は権力志向」
という論は、たしかに「政治的側面」において事実なのかもしれません。
が、それを信じて戦った人たちにとっては、「権力志向」など無関係だったのではないか、と。
真に「アジアの解放」を信じて戦った人たちに対して
「あれはあくまでも権力志向だ」
と断じてしまうのは、僕の心情的に
「それじゃ『個人の信念』を無視しすぎてないか?」
と思う次第です。

「権力志向だ」
と言い切ってしまうと、インパール作戦その他、アジア諸国独立のために、戦った兵士たち、そして、終戦後も現地に残って戦い続けた兵士たちの行動は説明できなくなってしまう。

政府は「国益主義」だったとしても、兵士は「愛国主義」だったわけです。
だから僕には答えが出せない。
いままで散々エラソーなことを書いてきましたが、信念に基づき、命を懸けて祖国とアジアのために戦った人たち、いわば「大和魂」を実践し、散っていった人たちに対し、平和ボケボケの日本で、このブログに仮面ライダーがどうだとか、サッカーがどうだとか、そんなことを書いてきた僕が、彼らを「断罪」できると思っているほど横柄な人間ではないつもりです。

また、「大東亜共栄圏」という思想も、先の大戦において「初めて」日本が掲げたものではない、その思想は(僕が知る限りでは)戦国時代から存在していた、と考えています。

豊臣秀吉による朝鮮出兵は2隊に別れ半島北岸と南岸を進軍していきました。
そのうちの1隊を率いる武将・加藤清正の行った行為は完全な「侵略行為」だったようです。
一方の隊を率いる小西行長なんですが、これ、何度も朝鮮、及び明に対して、
「北東アジアに巨大貿易圏を作ろう」
といった旨の書簡を送っています。
その書簡は途中で握りつぶされ、実際に明国に届けられることはなかったそうですが、これって、もしかして「大東亜共栄圏」のさきがけだったのではないか、と。

行長は秀吉の死が近いことをさとり、そういった書簡を送ったらしいですが、それを読むと、
「戦争はやめよう。貿易しよう」
という、「商人武将」らしい発想が見受けられる。

それを「大東亜共栄圏」的な発想だと捉えるのは決して間違ったものではないと思うんです。

歴史は断片的なものではない。連綿として受け継がれていくものなわけですから、大東亜戦争だけを見れば、「共栄圏」は政治的、権力的なものとして受け止められても仕方ないんですが、そこに至るまでの、数百年に及ぶ歴史を見たとき、
「もしかしたら、日本人には最初からそういう発想があったのではないのか」
と感じられるんです。
それも、聖徳太子の時代から。
「対等にお付き合いしましょう」
みたいな発想が、ね。

・・・といった余談はさておき。

ある一つの主張を
「これこそが正義(もしくは『真実』『事実』)だ」
と断定することは、冒頭にあげたメディア論にも書いていますが、非常に危険な思想だと感じるわけです。
「自分はこう思う」
そこまでしか言えないんではないでしょうか。
たとえそこにどのような歴史資料があったとしても、です。
資料に残らない歴史だって存在するわけですから。

極論ですが、例えば、
「邪馬台国はどこにあったのか」
みたいなものが、ね。

だから、その穴は推測で生めるしかない。
「Aという資料がある。Cという資料がある。でもそれをつなぐBという資料はない」
となると、Bの部分は推測でしかない。
また、資料に関しても、すべて揃っていると思っていたところ、後から違う資料が出てきた、なんてのも、ザラにある話です。

話かわって、いじめ問題。
いくつかの論調があります。
「いじめはダメ」
「いじめられる側にも問題がある」

などなど。

僕はどちらの言い分にも「正義」があると思っています。
ただ、「正義」だからといって集団で個人を攻撃することは、決して許してはならない、それをすれば、「正義」が「正義」として認められることはない、とも思います。
僕は基本的に、そういう考え方をするタイプですから、先の大戦についても、ABCD包囲網などという、国際的な「日本いじめ」は「正義」ではない、と思うわけです。

いじめられる側に問題があるなら、一対一でケリをつければいいわけで、何も集団でよってたかって袋叩きにする必要などない。

あと、
「いじめ2-文科相からの手紙」
http://showkei.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_8729.html
にもコメントをつけていただきました。

最近、新聞などで
「がんばらなくていいんだよ」
との論調を見かけます。

それはそれで、たしかに一理あるのかもしれません。
でも、頑張らずに生きることを覚えた人間は、果たしてどのような人間になるのか?
「学校に行かなくてもいいんだよ」
などという論調もありますね。
たしかに、ガッコーのセンセーなんて、まともな連中は少ない。
英語や国語、数学などしか教えられないアホどもが多い。
だからといって、親御さんが「それじゃいじめられるぞ」と脅しをかけるのはいかがなものかと思うんですが、やはり最後は自助努力と好奇心なのではないか、と。
特に、好奇心が大事ですね。

いじめとはあんまり関係ないようだけど、いま、僕は仕事上で大きな悩みというか、ジレンマというか、ある種の「壁」にぶち当たっています。

言い換えれば「仕事が俺をいじめてる」状態です。

そこで時々、考えます。

「この壁を乗り越えれば、どんな世界が広がるんだろう」

と。

いじめ自殺の報道がなされるたびに思います。
「自分自信の未来に対する好奇心を教えてやれる大人はいなかったのかな?」
と。
追い詰められている人間はとかく視野が狭くなりがちです。
かつての僕もそうでした。
でも
「正義は我にあり」
「数年後にはすべてが変わるかもしれない」

と思える心を育てることって、大切なんじゃないでしょうか。
時には戦い、時にはガマンする。
そして
「明日は明日の風が吹く」
ですね。

・・・過去にサイト(http://homepage1.nifty.com/ksk628/frame2.html)も仕事も含めて膨大な文章を書いてきましたが、おそらく、今回ほどまとまりのない駄文はないかもしれない・・・

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2006年12月 6日 (水)

いじめ2~文科相からの手紙

なんやら、文科相から全国の小中高に手紙が送られたそうです。
知人経由でその写しを入手しました。
大人宛てと子ども宛ての2種類。
僕が入手したのは、手紙の写真だったので、句読点など細かい部分は判別できませんでしたが、文言は明確に読み取れました。
以下、2通の全文(と思われるもの)を紹介します。

文部科学大臣からのお願い

お父さん、お母さん、ご家族の皆さん、学校や塾の先生、スポーツ指導者、地域のみなさんへ

 このところ「いじめ」による自殺が続き、まことに痛ましい限りです。いじめられている子どもにもプライドがあり、いじめの事実をなかなか保護者に訴えられないとも言われます。
 一つしかない生命。その誕生を慶び、胸に抱きとった生命。無限の可能性を持つ子どもたちを大切に育てたいものです。子どもの示す小さな変化をみつけるためにも、毎日少しでも言葉をかけ、子どもとの対話をして下さい。
 子どもの心の中に自殺の連鎖を生じさせぬよう、連絡しあい、子どもの生命を護る責任をお互いに再確認したいものです。

平成十八年十一月十七日
文部科学大臣 伊吹 文明

これが大人宛て。
そして下が子ども宛て。

文部科学大臣からのお願い

未来のある者たちへ

 弱いたちばの友だちや同級生をいじめるのははずかしいこと。
 仲間といっしょに友だちをいじめるのは、ひきょうなこと。
 君たちもいじめられるたちばになることもあるんだよ。後になって、なぜあんなはずかしいことをしたのだろう、ばかだったなあと思うより、今、やっているいじめをすぐにやめよう。
   ◇   ◇   ◇
 いじめられて苦しんでいる君は、けっして一人ぼっちじゃないんだよ。
 お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、きょうだい、学校の先生、学校や近所の友達、だれにでもいいから、はずかしがらず、一人でくるしまず、いじめられていることを話すゆうきをもとう。話せば楽になるからね。きっとみんなが助けてくれる。

平成十八年十一月十七日
文部科学大臣 伊吹 文明

深く突っ込んだコメントは、今回は時間の都合で控えさせていただきますが、僕がこの2通を読んだ時の第一印象は
「こいつ、『いじめ』ってのがどんなものなのか、分かってないんだろーな」
でした。
もちろん、こんな文章、伊吹大臣自らが書いたとは思わない。どうせ文科省のお役人が
「こんな感じでいーんじゃねーの」
ってな具合で官僚的に、そして「アリバイ」作りのために書いたとしか思えませんが…。

こんなもん読んで、保護者や子どもに訴えても、いじめなんて絶対になくならない。
これを読んで
「いじめをやめよう」
と思う子どもは、最初からいじめに加担なんかしてないんじゃないのかな?
誰かに話したら、
「ちくった」
とか言われて、さらに陰湿な、表面に出てこないようなカタチでいじめられ続けるでしょう。

そもそも、
「いじめをなくそう」
というスローガン自体がおかしいと思うんです。

その理由は、いずれ時間があるときにでも書いてみたいと思ってます。

僕は小学校高学年あたりから、
・誰かを集団で無視する
・集団で嫌がらせをする
という行為に興味がなくなりました。
他のこと(音楽とかいろいろ)に興味を持ち始めると、いわゆる「いじめ」行為にまったく興味が失せてしまった。
特に、高校時代になると、音楽一辺倒で、自分のクラスにいじめがあるのかどうかすら知らない状態。
たぶん、自分がいじめられていたとしても、それに気付かない状態。

手紙を送るなら、保護者やいじめっ子、いじめられっ子に送るのではなく、そこに関係してない、いじめとは無関係な子どもに送るべきなんじゃないのかな?
「見かけたら止めてやってくれ」
みたいな具合に。

まぁ、しかし、いじめ自殺も大きな問題だろうけど、それは世の常であって、たまたま昨今、自殺が相次いでいるというわけで、今、上の手紙で仮にいじめ自殺の連鎖が収まったとしても、数年後にはまた同じことが起きるでしょう。

解決策は、授業に「武士道」を組み入れることではないのかな。
そして、日本史を社会科から外して、「国史」という別枠の授業を設けることを考えたほうがいいんじゃないのかな?

大和魂の復権。

いじめ問題解決策の一つに、こういう選択肢があってもいいんじゃないのかな。

つい先日、ガッコーのセンセーが作ってるサイトで、事故で死亡した子どもの写真やらを掲載し、遺族を中傷するようなコメントがつけられていて、両親がそのセンセーを告訴しました。

上の文科相からの手紙にあった一文

お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、きょうだい、学校の先生、学校や近所の友達、だれにでもいいから、はずかしがらず、一人でくるしまず、いじめられていることを話すゆうきをもとう。話せば楽になるからね。きっとみんなが助けてくれる。
(下線部は小兄)

ガッコーのセンセーの一部には、子どもを「人」として扱っていない連中も存在します。
遺族を平気で中傷して、それをサイトにアップする鬼畜もいる。
はて…そんなセンセーに相談すると、いじめられた子はどうなるんでしょうかね。

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