2006年12月 6日 (水)

いじめ2~文科相からの手紙

なんやら、文科相から全国の小中高に手紙が送られたそうです。
知人経由でその写しを入手しました。
大人宛てと子ども宛ての2種類。
僕が入手したのは、手紙の写真だったので、句読点など細かい部分は判別できませんでしたが、文言は明確に読み取れました。
以下、2通の全文(と思われるもの)を紹介します。

文部科学大臣からのお願い

お父さん、お母さん、ご家族の皆さん、学校や塾の先生、スポーツ指導者、地域のみなさんへ

 このところ「いじめ」による自殺が続き、まことに痛ましい限りです。いじめられている子どもにもプライドがあり、いじめの事実をなかなか保護者に訴えられないとも言われます。
 一つしかない生命。その誕生を慶び、胸に抱きとった生命。無限の可能性を持つ子どもたちを大切に育てたいものです。子どもの示す小さな変化をみつけるためにも、毎日少しでも言葉をかけ、子どもとの対話をして下さい。
 子どもの心の中に自殺の連鎖を生じさせぬよう、連絡しあい、子どもの生命を護る責任をお互いに再確認したいものです。

平成十八年十一月十七日
文部科学大臣 伊吹 文明

これが大人宛て。
そして下が子ども宛て。

文部科学大臣からのお願い

未来のある者たちへ

 弱いたちばの友だちや同級生をいじめるのははずかしいこと。
 仲間といっしょに友だちをいじめるのは、ひきょうなこと。
 君たちもいじめられるたちばになることもあるんだよ。後になって、なぜあんなはずかしいことをしたのだろう、ばかだったなあと思うより、今、やっているいじめをすぐにやめよう。
   ◇   ◇   ◇
 いじめられて苦しんでいる君は、けっして一人ぼっちじゃないんだよ。
 お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、きょうだい、学校の先生、学校や近所の友達、だれにでもいいから、はずかしがらず、一人でくるしまず、いじめられていることを話すゆうきをもとう。話せば楽になるからね。きっとみんなが助けてくれる。

平成十八年十一月十七日
文部科学大臣 伊吹 文明

深く突っ込んだコメントは、今回は時間の都合で控えさせていただきますが、僕がこの2通を読んだ時の第一印象は
「こいつ、『いじめ』ってのがどんなものなのか、分かってないんだろーな」
でした。
もちろん、こんな文章、伊吹大臣自らが書いたとは思わない。どうせ文科省のお役人が
「こんな感じでいーんじゃねーの」
ってな具合で官僚的に、そして「アリバイ」作りのために書いたとしか思えませんが…。

こんなもん読んで、保護者や子どもに訴えても、いじめなんて絶対になくならない。
これを読んで
「いじめをやめよう」
と思う子どもは、最初からいじめに加担なんかしてないんじゃないのかな?
誰かに話したら、
「ちくった」
とか言われて、さらに陰湿な、表面に出てこないようなカタチでいじめられ続けるでしょう。

そもそも、
「いじめをなくそう」
というスローガン自体がおかしいと思うんです。

その理由は、いずれ時間があるときにでも書いてみたいと思ってます。

僕は小学校高学年あたりから、
・誰かを集団で無視する
・集団で嫌がらせをする
という行為に興味がなくなりました。
他のこと(音楽とかいろいろ)に興味を持ち始めると、いわゆる「いじめ」行為にまったく興味が失せてしまった。
特に、高校時代になると、音楽一辺倒で、自分のクラスにいじめがあるのかどうかすら知らない状態。
たぶん、自分がいじめられていたとしても、それに気付かない状態。

手紙を送るなら、保護者やいじめっ子、いじめられっ子に送るのではなく、そこに関係してない、いじめとは無関係な子どもに送るべきなんじゃないのかな?
「見かけたら止めてやってくれ」
みたいな具合に。

まぁ、しかし、いじめ自殺も大きな問題だろうけど、それは世の常であって、たまたま昨今、自殺が相次いでいるというわけで、今、上の手紙で仮にいじめ自殺の連鎖が収まったとしても、数年後にはまた同じことが起きるでしょう。

解決策は、授業に「武士道」を組み入れることではないのかな。
そして、日本史を社会科から外して、「国史」という別枠の授業を設けることを考えたほうがいいんじゃないのかな?

大和魂の復権。

いじめ問題解決策の一つに、こういう選択肢があってもいいんじゃないのかな。

つい先日、ガッコーのセンセーが作ってるサイトで、事故で死亡した子どもの写真やらを掲載し、遺族を中傷するようなコメントがつけられていて、両親がそのセンセーを告訴しました。

上の文科相からの手紙にあった一文

お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、きょうだい、学校の先生、学校や近所の友達、だれにでもいいから、はずかしがらず、一人でくるしまず、いじめられていることを話すゆうきをもとう。話せば楽になるからね。きっとみんなが助けてくれる。
(下線部は小兄)

ガッコーのセンセーの一部には、子どもを「人」として扱っていない連中も存在します。
遺族を平気で中傷して、それをサイトにアップする鬼畜もいる。
はて…そんなセンセーに相談すると、いじめられた子はどうなるんでしょうかね。

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2006年11月25日 (土)

仮面ライダーは正義の味方か

今日の産経新聞夕刊に

「仮面ライダー生誕35周年」
http://www.sankei.co.jp/news/061125/bun003.htm

という記事が1面トップに載ってました。
そこには2枚の写真が使われてました。
1枚は上のURLにあるライダーベルトの小さい写真。

問題は、もう1枚のほう。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/television/29054/slideshow/11783/

これ見て、会社で、
「どれが何ライダーなのか」
という話題になりました。

とりあえず会社で出た結論としては、
前列右から

ストロンガー
分からん
4号ではないか。名前が分からん
1号か2号
たぶん、新作の「カブト」
1号か2号
V3
アマゾン
分からん

あと、別の論点としては、
「1号と2号の違いは何か」
これに関しては結論は出ず。

4号と思われるものについては、ある奴が
「バッタのやつじゃないっすか?」
とか言うんです。
でもね、「バッタのやつ」って、あんた…

仮面ライダーはバッタと人間を交配させた人造人間じゃねーのか、と。

とりあえずは、
「1号、2号あたりはバッタと人間のハーフ、
4号と思われるライダーは、ハーフであるライダーを
さらにバッタと掛け合わせたクウォーター」

つまり、バッタ75%、人間25%ではないか、と。

でも、そうなってくると、人間の遺伝子は4分の1しかないわけだから、もはや
「人造人間」
とは呼べないのではないか。
「人造バッタ」
ではないのか、と。

もはやここまで来ると、
「バッタによるエスニック・クレンジング(民族浄化)」
といって差し支えないのではないのか、と。

次の問題として、ではなぜ人のカタチをしているのか、というのが浮上してくる。
バッタが75%ならば、バッタのカタチをしててもおかしくないのではないか、と。
んで、とりあえずは
「外見は人型。中身はバッタ」
ということになりました。

そこでさらに次の問題が浮上してきます。
脳みその容量はどれぐらいあるのか。

中身がバッタなら、頭脳もバッタ並みのはず。
果たして善悪の区別がつくのだろうか?

昆虫の世界に限らず、この世の動物世界は弱肉強食。
強いやつが弱いやつを食らう。
仮面ライダーの世界では、ライダーは
「悪を懲らしめる正義のバッタ」
という構図になっていると思うんですが、もしかしたら、その4号と思われるバッタ…いや、ライダーは「正義」という概念をもっているのか疑問。

もっと言えば、4号と思われるバッタに関しては、出てくる悪役は単なる
「エサ」
として認識して、やっつけて食料にしているのではないのか。

だけど、その食餌風景を放送すると、
「バッタが人を食ってる!」
などという苦情の電話が殺到するだろうし、そもそもグロテスクだから、
「自主規制」
をかけて放送しなかったのではないか。

そして悪役を駆逐したあとは、一般人をエサとして食う。

そうなると、もう
「バッタが世界を征服しようとしている」
としか考えられなくなる。

はて、そこまでたどり着いて、ふと気付きました。
「バッタに『世界征服』ということを思いつく知能はあるのか」

そして、今度は3万円を超す価格のライダーベルトに話題が移りました。
「ライダーベルトが3万円!」
「そういや、本格的なライダーベルトが発売されたって、話題になりましたよね」
「本格的ということは、ホントに変身できるのか?」
「使ったことがないから分からない」

ということで、以下、記事抜粋。

≪3万円のベルト≫

 「子供のころできなかった変身ベルトをつけることができ、涙がでるほどうれしかった」(46歳男性)「感動で胸がいっぱい。時間が戻せるなら子供時代の自分に買ってやりたい」(42歳男性)

 今春、話題をさらったバンダイの「仮面ライダー新1号変身ベルト」を購入した大人が、同社のホームページ「歓喜の声ページ」に寄せた声だ。

 ベルトは多色LEDを搭載。風車が回転、発光し、変身の際の様子や音をリアルに再現でき、3万1500円。ファン以外には驚きの価格だが、1万個を売った。

(下線部は小兄)

「変身できる」とは書いてないけど、この書き方だと
「変身できるのかもしれない」
と思えてしまう。少なくとも「変身できない」とは書いていない。

ということは、いずれ訪れる「バッタの惑星」の時代に備えて、エサにならないように買っておいたほうがいいのかな? などとしばし黙考。

でも、よくよく考えてみると、ボスニアだったか、コソボだったかの紛争で登場した
「モスレム」
という「民族」も、もともとはスラブ民族だったのがイスラムに改宗して支配者層になったがために、「民族の裏切り者」という憎悪の対象になったわけだから、純粋な人間が下手にバッタにへつらってベルト買って変身したとしても、世界秩序が崩れたら、
「バッタ vs バッタもどき vs 人間」
という、種族紛争に陥る可能性もある。

子どものころは、仮面ライダーって単なる「ヒーローもの」として見てただけなんですが、なかなかに奥深いテーマを内包してますね。

・・・バカ話ではありますが、うちの会社ではこんな話が日常茶飯事。

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2006年11月24日 (金)

教育基本法改正

改正案が数日前、衆院を通過しました。いま参院で審議中のはず…

さて、過日、うちの会社の労働組合から、
「教育基本法『改悪』反対の集会があるから出席してくれないか」
とのお誘いを受けました。

僕のブログを時折にでも見に来てくれる人たちは既にご承知かと思いますが、僕の思想は右寄りです。それもかなりの右。

そこで、そのお誘いに関する経緯を。

相手「教育基本法が改悪されるのは知ってるか?」
僕「『改悪』じゃなくて、『改正』でしょ
相手「いやいや、あれは『改悪』だろ
僕「まぁ、ある意味、『改悪』かもしれませんねぇ
相手「『ある意味』ってどういう意味?」
僕「そもそも『愛国心』なんもの、てホントは法律に盛り込んじゃいけないんですよ
相手「だろ。これを認めたら、また軍国主義の時代に戻ってしまいかねないと思わない?
僕「そうじゃなくて、『愛国心』ってのは、いちいち法律に定めなくても、家庭や学校で自主的に教えなきゃいけないものであって、それを法律に盛り込まなきゃいけない、ってのは、愛国者にとっては、非常に嘆かわしいことなわけです
相手「おぉ。俺はてっきり、うちの会社の人間は全部が反対派だと思ってたけど、意外なところに伏兵が…。さすがに、そういう奴は誘えないな

ってな感じ。

以前にも、必修授業の未履修について、
「日本の歴史は学ばなければならない」
みたいなことを書いたんですが、なぜ「学ばなければならない」のか、というと、
「歴史の教訓を最大限に生かすため」
つまり、まかり間違っても、かつての『暗い時代』といわれている世相に戻らないよう、
「なぜ戦争したのか。なぜ負けたのか」
を徹底的に研究、分析し、日本の行く末を案じて敵軍艦に特攻していった人たちのためにも、その分析・研究結果を教訓としなければならない、と考えているわけです。

そもそも、です。
「愛国心」=「軍国主義復活」
みたいなものの考え方って、飛躍しすぎてませんか。
いや、歴史をおろそかにしてるから、「そうなる」と考えてしまうのではないのかな?
「二度と同じ轍を踏まない」
と考えれば、歴史をきちんと教えた上での「愛国心」に何の問題があるんでしょう。
今回の法改正について、反対している人たちに問いたい。

そんなに日本が嫌いなのか?

日本はそんなに住みにくい国なのか?

いったい日本をどういう国にしたいのか?

だいたいからして、ホントに日本が住みにくい国ならば、改正反対派の集会やらなんやら、そんなことしてるヒマがあるなら、韓国でもアメリカでも、反対派が
「住みやすい」
と思える国、もしくは
「この国なら愛せる」
って国に移住すればいいじゃん、と思うんですが…

僕は日本という国がとても好きです。
好きを通り越して、愛しささえ感じています。
「この国に生まれて良かった」
とも思っています。
法改正によって、自分の国を好きになれる子どもたちが出てくる、というのは、とても素晴らしいことだと思うし、そうなればますます日本は「いい国」に育っていくでしょうね。

先日、↓のような本を読みました。

日本人としてこれだけは知っておきたいこと 日本人としてこれだけは知っておきたいこと

著者:中西 輝政
販売元:PHP研究所
Amazon.co.jpで詳細を確認する


筆者はまさに「憂国の士」ですね。
ちょっと過激に右よりかな、とも感じたけど、そこまで警鐘を鳴らさないと、もはやこの国はどうしようもなくなってしまう気がする。

そもそも「愛国心」って何なんでしょう?
国を愛する心?
じゃ、国って何?

「国」という表現には二通りの解釈ができると思うんです。
「政府」という解釈と「日本人の集合体」という解釈。

親兄弟、親戚、友達を大事にしましょう。そして自分も大事にしましょう。
僕にとっての「愛国心」ってのはそれです。

一方の反対派は
政府を大事にしましょう、とはケシカラン
ではないかと推測するんですが、いかがなものでしょう。

もしも、「愛国心」という言葉を僕と同じ解釈をしていて、それでもなお反対する人がいれば、これは法改正云々を唱えられる次元ではないと思うんですが…

「自分は日本人」
それがイヤなら上にも書いた通り、移住して韓国や中国にもで帰化して現地人になって、
「日帝」
とか
「小日本」
とか
「東洋鬼子」
などと叫んでいればいい。
個人的には、自虐史観を子どもに押し付けて、自分を生み育んでくれた国を貶めるような、「ガッコーのセンセー」というカルト集団には早々にこの国から出て行ってほしい
彼らが存在する限り、この国は良くならない。

自国の歴史を否定する輩は、僕のように
「大東亜戦争は日本の正義」
という人間を徹底的に批難します。

そういうこと、やられたことあります。社会人になってから。
出社すると個室に「軟禁」されて、
「あの戦争を正当化するなど記者としてあるまじき行為だ。反省せよ」
などと、ボロクソ。
僕が、自分が調べた範囲で、
「戦時中のあの出来事の実相はこうだ。この出来事に関してはこうだ」
と反論すると、相手は単に
「日本」=「悪」
としか捉えておらず、個々の出来事に関して勉強してないから、太刀打ちできない。

そこで、彼らが行う「常套手段」の登場です。
個人(僕)に対する誹謗中傷。
議論の中身には触れず、
「あいつは人の言葉に一切耳を傾けない自己中毒な利己主義者」
耳を傾けないのはてめーのほうだろ、と言いたいところをグッとガマン。
論破されて反論できなかったが故の中傷なので、こっちが相手と同じことをやると、今度は
「根拠もなく個人攻撃をする、言論人としてあるまじき行為」
と言われるのがオチだから。

新聞社内にして既にそういう
「自由な信条」
を認めない風潮にあるわけですから、「ガッコーのセンセー」カルトはもっとすさまじいんでしょうね。

「日本は悪い。そう思えないお前は人間のクズだ」
中学だったか、高校だったか、そんなことを言われたことがあります。

たぶんね、そういう教育体制というか、
「国を愛する心って大事なんだよ」
ということを教えない、そういう心を持ってる子どもに対し「ガッコーのセンセー」が通信簿の所見欄に
「思想面に偏りがある」
とか書く。
「偏りがある」と書くということは、「センセーの言葉に逆らってはいけない」ということであって、これこそ「軍国主義」の亜流ですよね。

そんな教育姿勢だから、いじめによる自殺もあとを絶たないのではないんでしょうか。
「いじめられる奴にも問題はある」
ってのも一理あると思うんですが、集団で一人ないし二人といった少人数をいじめるのは、絶対に許されないことです。

センセーがクラスの生徒全員がいる中で、僕に対して放った「社会生活不適合者」の烙印は、その後、存分にいじめの材料となりました。

僕の場合、「いじめよう」という意思を誰かから感じた際には、こちらから先制攻撃を加えてましたから、結局は「いじめたくても手が出せない奴」という存在になりましたけどね。
でも、センセーが何を目的としてそんなことを言ったのか、十二分に理解しております。

まずは教育基本法改正。
反対するセンセー・カルトは強制的に国外追放。
どうせ日本が嫌いなんだから、追放されてもどうってことないと思います。
そんな具合でいかがでしょう。

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2006年9月27日 (水)

検索ワード~行方不明の記者はバカ

少し前に、ブログにアクセスカウンターをつけました。右下の方。いま確認したら「5274」になってました。
ブログやサイトをやる人間って誰でも同じだと思うんですが、
「何かやってみたい」
という意思を持っているんじゃないでしょうか。
「何か」が何なのか分からないから、とりあえず手近なインターネットで、以前ならサイトを、最近ならサイトより簡単なブログを、ってところかな。
明確な目的意識を持ってブログやサイトをやっている人もいますが、「なんとなく」って感じの人の方が多い気がします。

目的意識を持ってやってる人のサイトは当然、アクセスが多い。2ちゃん系もアクセスが多い。
でも、「個人の日記」に過ぎない僕のブログ、サイトは当然、アクセスは少ない。
5000超えてるだけでも、正直なところ、驚きです。
ちなみに、一番アクセスが多かったのが、サッカーのワールドカップ期間中に書いた
「勝ち点の計算方法-日本勝ち抜けの条件」
でした。

それはともかくとして、アクセス件数。
僕も「何かやりたい」と思ってサイト&ブログを始めた派です。明確な目的意識は持っていません。
でも、なぜかアクセス数って気になるんですよね。

このブログと相互リンクしてるブログは
「書きなぐソ陪審」

「霧の中の鈴」
だけ。
サイトは僕が以前に書いたチベット紀行を中心とした
「心象風景」
のみです。
だから、普通に考えれば、よほど面白い内容でなければ、アクセスが増えるはずがない。
なのに、開設から7ヶ月で5000件突破。
どこから来てるんだろう? ってのが気になるところです。

そこで、アクセスカウンター。これ、実はアクセス解析機能も持っておりまして、同時にアクセス解析のタグも張り付けてるので、ある程度までたどることができるんです。
検索ワードも分かる。

「女 ヘビースモーカー」
…いったい何を探してたんでしょう。わりと気になる。
「国名5文字」
…それを何に役立てようというんでしょうか。
「パチスロ 人間のクズ」
…うるせーよ、って感じですね。
「ウクライナ 風俗」
…目的は分かるんですが…
「ブラジル 3文字 表記」
…漢字で書くと「伯剌西」。てか、日常生活の中でブラジルを3文字で表記する必要ってあるんでしょうか? ま、目的はともかくとして、それを僕のブログに求めるのは明らかに間違ってますね。
辞書をひけ! 辞書を!
もしくはWikipedia。
「韓国の汚いサッカー」
…同感。
「もてる30代」
…そんな内容、書いた記憶ないっす。でも検索かけた人が30代で、「女にモテたい!」というギラギラした性欲がびしびしと伝わってくるステキな検索ワードですね。
「糞尿便器処刑」
…もはやここまで来ると、僕の常識では測れない人種が存在するということを痛感させられます。

さて、簡単ではありますが、僕が「?」と思った検索ワードでした。わずか半月足らずの間に、こんなキーワードで僕のブログにたどり着いてる人たちがいるのかと思うと、
「俺のブログって、すっげー低俗なんだなぁ」
と思わざるを得ません。高尚な内容を書いてるつもりなんだけど…

でも、僕が一番気になった検索ワードがあります。
「台風 記者 行方不明 バカ」
これは間違いなく、
「台風で新聞記者が行方不明~記者の殉職」
にたどり着いたはずです。僕は確かにそこで、
「行方不明になった記者は未熟だったんだ」
という内容を書きました。
が、「バカ」ってなんだ?

上記記事にも書きましたが、僕としては、無意味に命を落とす必要はない、同じことを繰り返してはいけない、という思いで書いたんですが、僕も人の子ですから、やはり「取材に行って行方不明」と聞くと、「気の毒に」という思いが真っ先に頭をよぎります。

この「記者 行方不明 バカ」で検索をかけた人は、いったい何を考えてるんでしょう。
人が行方不明になるたびに、そして人が死ぬたびに
「バカじゃねーの」
と喜んで、自分はそんなことしない、と悦にいってるんでしょうか。

人間なんて、いつどこで、どんな死に方をするか分かりません。
イラクで首を切断され殺害された若者がいました。
軽はずみな行動が招いた結果、といってしまえばそれまでですが、僕は彼を
「バカ」
と呼ぶ勇気はありません。
まともな感性を持っていれば、「可哀想」という気持ちの方が先に出てくるんではないでしょうか。

僕の兄は幼いころに事故で他界しました。
自分なりに命の重みは理解しているつもりです。
「記者 行方不明 バカ」
そんな言葉で検索かける鬼畜の気がしれない。
本物のバカはどっちなのか、お前が行方不明になった時に、「バカ」で検索かけられたらどんな気持ちになるか、じっくりと考えろ、と言いたい。
検索をかけた人間のクズは、僕の兄のこともやはり
「バカ」
と呼ぶんでしょうか。もしそうなら、僕がこの手で殺してやりたい。死者を「バカ」呼ばわりするゴミに生きてる資格なんてない。

なんとなく見てみた検索ワードで無性に腹が立ったので書いてみました。
日本社会から、人を思いやる気持ちがどんどんと消え去ってしまっているような気がします。

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2006年9月18日 (月)

台風で新聞記者が行方不明~記者の殉職

台風13号が日本海に抜けました。ブロック紙(だったと思う)の新聞記者、27歳が取材に出かけたまま行方不明になっています。

27歳って、ようやく仕事に慣れてきて、プロ意識が芽生え、記者の仕事が面白くって仕方ない…という年齢です。
新卒で入社したとすれば、僕の経験から照らし合わせれば、バリバリの若手で、気力、体力ともに充実してて、先輩や上司に怒鳴られることも少なくなり、手下(「てか」と読んでね)がつくぐらいの年ですね。

これを書いてる段階では、依然「行方不明」のままなんだけど、九州地方を襲った台風13号のテレビ中継などを見て、
「行方が分からなくなってるだけ」
と思う人はいないでしょう。

仕事柄、「だれそれが行方不明」などという原稿は大量に書いてきたし、紙面化してきたけど、記憶に残っている限り、行方不明者が生きていた、という話は書いたことも読んだこともありません。

世界では毎年、何百人ものマスコミ関係者が殉職しています。
多くは従軍記者なんだけど、朝日新聞阪神支局襲撃事件のような「殉職」もあります。
僕が働いてる会社でも、過去に何人かが取材中に命を落としています。

そう。こんなお気軽で能天気なブログ書いてる僕でも、いつ死んでもおかしくない
徒にマスコミ批判をする人たちも多々いますけど、僕ら業界人だって命がけで報道の仕事に携わっているわけです。

一昨年だったかな?
台風上陸が相次いで、日本中に大被害をもたらした年がありました。
直後に新潟中越地震が起きたこともあり、多くの人は記憶から薄れているかもしれませんが、あの時、僕は日本海側の通信部で仕事をしていました。

強風と大雨で、夕方6時ごろにメシを食いに行こうと外に出たら、道路は完全に冠水していて、どこがセンターラインなのか分からない状態。
というか、どこが道路なの? 状態。
要するに出かけられない。
その夜はカップラーメンをすすって空腹をしのいだ後、時々、関係機関に被害状況を問い合わせて、あとは徹夜で待機。

一夜明け、テレビを見ると兵庫県豊岡市、水没。
比較的近くだったので、上司に「応援に行く」と伝えて現場に向かいました。

当地の支局に到着すると、所属記者連中はグッタリ。
どうしたのか質問してみると、
胸のあたりまで浸水してる時に、堤防の決壊現場に取材に行った
とか、
冠水した道を強行突破して災害現場に行ったら、川の水が逆流して一気に増水したため完全に孤立し、風雨にさらされながら民家の屋根で一夜を過ごした
とか。

そいつらに言いましたね。
「お前ら、バカか」
って。
普通に仕事してるだけでも死ぬことがあるような職業なのに、これからますます災害がひどくなるって時に現場に向かうのは自殺行為に等しい。

「記者魂」
と言えばカッコいいかもしれないけど、連中の言葉を聞いてると、結局は現場の状況を把握してない本社のエライさんに
「現場に行け」
って言われたから行っただけ。
命令したデスクもデスクなら、状況も見ずに現場に向かった記者も記者で、どっちもどっちですね。
怪我人は数人出たけど、死者がいなかったのが不幸中の幸いです。

さて、今回の台風で行方不明になっている記者は、どういう経緯で取材に行ったのか。それが気になるところです。

自らの意思で行ったのなら、それは本物の「記者」だし、殉職しても堂々と「プロとして命を落とした」と言えるでしょう。
けど、上司や先輩の命令で行って、行方不明になったのなら、無礼を承知で書かせてもらうと、
「取材不足だった」
としか言いようがありません。

何らかの方法で被害状況をしっかりと取材して、いまどのような状況下にあるのか、しっかり把握していれば、
「巻き込まれる可能性は十二分にある」
ということは事前にある程度分かるはずで、ベテラン記者はそういう準備をしてから、出るべきか、出ざるべきかを判断しています。

行方不明者に対してこんなことを書くべきじゃないのは重々承知していますが、今後も僕と同じ業界の人間が同じような目に遭わないことを願って、あえて書かせていただきます。

行方不明になった記者、要は「記者として未熟だった」ということです。

もしくは、本当に自らの意思で報道に命をかけたのか、どちらか。

すべてを把握した上で危険な現場に赴くことは「勇気」と言えましょうが、命令されたからといって盲目的に現場に向かうことは「勇気」とは呼びません。「盲従」であり、単なるロボットです。

ところで、僕が体験した台風の取材ですが、上記の通り、僕が勤めていた通信部周辺ですら既に派手な冠水がありました。
電話で関係各所に問い合わせたところ、数メートルの床上浸水が多数出ており、現在、救命ボートで救出作業中、という返答がいくつもありました。
デスクに
「こっちではこんな状況です」
と報告すると、
「取材して写真撮ってこい」
との命令。

で、数十分後、再びデスクに電話して
「冠水がひどくて、たどり着けません」
「なんとかならないか」
「完全に水没して、目視不可能な距離までしか行けません。現場まではとても無理です」
ということで、デスクはあきらめました。

もちろん、その夜、僕は一歩も外に出ずに通信部でカップラーメンすすって、パソコンでゲームしてたあhふぁらうお

「報道の使命」ってのは確かにあるけど、命かけるほどのもんじゃないっす。

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2006年9月17日 (日)

英語も愛国心(日本語って難しい…)

教育基本法改正で「愛国心」が盛り込まれるようです。

いや、ぶっちゃけ、ニュース面担当じゃないと、なかなか日ごろのニュースが記憶に残らないものでして、僕は普段スポーツ面ばかりやってるもんだから、
「盛り込まれるようです」
みたいな書き方してしまってますけど、盛り込むべきだろうし、それが論争になること自体がおかしいと思っています。
反対してる人たちは、いったいこの国の教育に何を望んでいるんでしょうか。
小林よしのり氏がいつだったか、何かで描いておられたような
「日本国解体」
なんですかね。

そもそも「戦後民主主義」とやらで、「自虐史観」を叩き込まれた、
「日本は悪い国だ」
という洗脳から、いい加減に脱却してはいかがでしょうか。
「憲法九条死守!」
とか言って、国際社会の現実を理解しようとしない。
「首相の靖国参拝反対!」
とか言って、靖国がどういう施設なのか、神道がどういう宗教なのか、祀られている人たちはどういう人たちなのか、分かろうとしない。

身命を賭してあなたを守ろうとしてくれた人たちに、
あなたは唾を吐きかけられますか?

祀られているのはA級戦犯だけじゃないということ、そして、神道の性質上、一度祀ったら分祀は不可能なこと、「A級戦犯」なるものに広田弘毅(字が間違っているかもしれません…)のような人も複数いること(「落日燃ゆ 」参照)、そして何より、戦犯を合祀した当時は圧倒的多数の日本人がそれを支持したことなど、諸々のことを把握した上で反対してるんでしょうか。

靖国に関しては、僕も詳しく調べたわけじゃないから、あまりエラソーなことは書けませんが、やはり、命を落としてまで自分の子孫、つまり今の日本を生きる我々を守ろうとしてくれた人たちが祭られている神社に、一国の首相が参拝しない、などとは言語道断ではないのか、と思う次第です。

中国、韓国の「靖国反対」は明らかな内政干渉だから、放置しておけばいいとして、僕が勤める新聞社をはじめとするマスコミ各社も、いい加減に「靖国バッシング」がいかに愚かしいことなのか、気づくべきだと思っています。

と、前口上が長くなってしまいましたが、教育基本法改正を見据え、中教審が各授業で「伝統」を重視する方向で検討を進めているそうです。

国語では、古文の朗読、詠唱。
これは古文・漢文が大の苦手だった僕からすれば、
「そんなことして意味があるのかな?」
です。
それなら、日本語の乱れを正すべく、「昔はこんな言葉遣いしてたんだよ」じゃなくて、現代国語で「これが正しい日本語だ」というのを徹底すべきではないのか、と。
「全然」が冒頭につけば、最後は「~ない」という使い方をするものであって、
「全然大丈夫」
という用法は誤りなんだ、みたいな。

まぁ、言葉は時代とともに変化していくものだし、あくまでもコミュニケーション・ツールだから、僕自身は「意味が通じればそれでいい」と思ってますけど。

でね、今日(昨日?)見かけた原稿に
「中教審が音楽や英語でも伝統を重視する素案を出した」
というものを見かけたんです。

音楽で「伝統重視」といえば、今の教科書に載ってる(のかな?)ようなミスチルやらサザンやらの曲より、「隅田川」とか「こいのぼり」「富士山」のような文部省唱歌を優先するんだな、ってことは容易に理解できますよね。

じゃ、「英語で伝統重視」って、なにすんの?

どうやら、国語、社会、音楽などで学んだ日本の伝統文化を英語で発信する、という内容らしいんだけど、
「音楽の伝統重視」

「英語の伝統重視」
とは、明らかに意味が違いますよね。

原稿には「仮見出し」というものがついていて、見出しをつける際の参考にするんだけど、その原稿の仮見出しは
「音楽、英語も『伝統重視』」
でした。

最初に見たとき、もの凄く違和感を感じました。
「英語の古語を授業に取り入れるのかな?」
って。
んで、原稿を読んだら上記の通り。

しつこいようですが、
「音楽の伝統重視」

「英語の伝統重視」
はニュアンスがかなり違う。
でも、
「音楽、英語も『伝統重視』」
といわれると、違和感は感じるけど、原稿の内容を読んだ上で判断すれば、なにがおかしいのか、上手く説明できない。

結局、見出しに「…英語も」という文言は省きましたが、部内で「『…英語も』という言葉があった方がいいんじゃないのか」というクレームが大量に出てきました。

「英語の伝統重視、ってなにするか想像できますか?」
と質問すると、ほとんどの人が返答に詰まる。
でも、原稿を読んで、あーだこーだと理屈をこねてくる。

英語だけを取り上げれば、おそらく僕の言い分は正しいと思うんですが、「音楽も」となってくると、途端に僕の言い分は弱体化してしまう。

要は「伝統重視」という言葉に込められた意味が多岐にわたりすぎて、誰もが納得できる見出しを誰も思いつけなかった、というわけです。

しかし、中教審も、「日本という国の文化・伝統を英語で発信する」とかいう中途半端なことをせずに、「英語の授業で源氏物語の英訳本を使う」とか、思い切ったことをすりゃいいのにね。
源氏物語って、おそらく英訳したら単なるエロ小説だから…って、英訳しなくても十分エロ小説だけど…中高生は必死で勉強すると思うんです。

ちなみに、英語が得意で日本史が苦手だった僕は、「Japanese History」っていうガイジンが書いた英語の本で日本史の勉強しました。

英語で日本文化を発信する、外国人相手に日本の話をする、という想定ならば、日本の文化・伝統・歴史を書いた英語の教科書を使うべきなんじゃないかな?

よく言われてるでしょ。
大事なのは「英語を喋る」ことではなく、「なにを喋るか」だ、って。
日本からアメリカやイギリスに語学留学する連中がたくさんいるけど、彼らは「英語を喋る」ということに力点を置きすぎて、日本に関する質問に答えられない人が多いんだって。
それで、「自分の国のことも知らない奴が外国語を学んでどうするんだ?」と笑いものにされてるそうな。

そういう点では、「英語でも伝統重視」ってのは、日本語としては意味が分からないけど、「日本のことを英語で話す」という内容の授業は非常に有益なことかもしれませんね。

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