2006年12月31日 (日)

大晦日

世の中に蠢く一般のみなさま。
あと数時間で2007年になります。
年末年始はいかがお過ごしでしょうか。
どーせ7連休とか10連休とか大型連休があって、実家に帰って、やれ
「お年玉がどーだ」
とか
「年賀状があーだ」
とかいいながら小さな幸せを噛みしめてるんでしょう。
今年の紅白歌合戦はどっちが勝つか、なんてこと言いながら、1年後の今日には
「そーいえば去年はどっちが勝ったんだっけ?」
とか言ってるんでしょう。

僕ですか?
いま仕事中です。
ええ。この記事は31日の午前3時に書いて、アップする時間を指定してますから、みなさんがこれを読むのは僕が仕事してる最中です。

「新聞社って大晦日の夜中まで仕事なんだ~」

なんて言ってる人もいるんでしょ。どーせ。

でもね、1月1日に配られる新聞って、誰が作ってると思ってるんですか。
我々が年越しそばも食わずに、紅白歌合戦でどっちが勝つかなんて、「娯楽」としてじゃなくて、「ニュース」としてしか見てないような状態で作ってるんですよ。
あなた方は正月紙面なんて、ぱらぱらめくって、三が日のテレビ欄だけ抜き取って、半日もしないうちに
「古新聞」
扱いするんでしょうけどね。

そもそもね、「古新聞」って表現、どうなのよ、ですよね。
「それって、古いの? 新しいの?」
みたいな。

考えてみてくださいよ。
新聞作るのって、年賀状のデザイン考えるよりはるかに難しいんですよ。
「あーでもない、こーでもない…」
って頭ひねって、デザインと言葉をひねり出してるわけですよ。
そうやって自分が苦心して作り上げた労作の紙面が、ある日、八百屋とかで大根に巻かれたりしてるわけです。

インターネットで例えれば、
http://www.higuchi.com/404/
の愚痴がなんとなく理解できてしまうんですよ。
「他人事じゃねーな」
なんてね。
まぁ、僕は機械じゃないけど…

そういうことで、来年もよろしくお願いします。
年末という貴重な時間を使ってここを見にきてくれた、ある意味、不幸な人生を送っている人たち、来年はいい年になるといいですね。
幸せな連中は、たまには悲惨な一年を送ってみるのも一興かもしれません。

僕だけ幸せになれればいいのに…

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2006年11月14日 (火)

いじめ自殺

いじめを苦にした自殺が連鎖的に起きてます。
僕は既に30代半ば。
自分の記憶をたどると、四半世紀前のいじめって、
自殺しなければならないほど深刻ではなかったような気がします。

・・・ま、まぁ、どちらかというといじめる側に立つことが多かったので、
あんまりエラソーなことは言えないんですが・・・

でも、いじめの対象になったこともあったわけで、
その時、どう感じたかというと、
「いつか仕返ししてやる」
でしたね。

いわゆる「江戸の仇を長崎でうつ」ってやつかな。

今の小中学生がやっている「いじめ」なるものがどのようなものか、
現場を見てないのでなんとも言えない部分があるんですが、
かつての外勤時代に某自治体の議会における教育長の答弁。

「子どもは、ある時にはいじめられ、ある時にはいじめ、
そうやって人の心が分かる人間に育っていくものだと考えております」

それを聞いた各紙の記者は一様に
「そうだ、そうだ」
といわんばかりに、しきりに頷いてました。

僕もそう思います。

が。

昨今の相次ぐ自殺を見ていると、
そう悠長なことを言ってられない状況にあるのではないか、と。
陰湿を極めるいじめ、逃げ場のない空間を作り出し、
「逃げたい」と思っても逃げられなくしてしまう。
そんな状況なのかな、と。

僕が小中学生のころは、いわゆる「いじめっ子」でした。
というか、周囲からはそう言われてました。
僕がやっていた「いじめ」は単純な暴力です。

休み時間に誰にも相手にされず、一人ぽつねんと席に座ってる奴に
「お前も一緒に遊ぼうぜ」
と声をかけて、遊んでる中で、相手の言動に腹を立てて殴ってしまう。

自分の行為を正当化する気はありません。
今では心のうちで深く懺悔してます。
でも、そもそも、そいつが何ゆえに
「誰にも相手にされず」
という状況だったのか。

それは、クラスの連中に「無視」という、
僕からみれば許しがたい「いじめ」をされていたからです。

「あいつ、ムカツクからみんなで無視しようぜ」

そういう「取り決め」がありました。
でも、無視(=存在を否定する)という陰湿な行為は、
僕自身もやられたことがあるので、そのつらさが分かります。
だから、「取り決め」を無視して、一緒に遊ぶ。
その中で、ケンカする。
それを見た連中は僕を指して
「小兄は○○君をいじめてます」
と先生に報告する。

すると、僕は”一流”のいじめっ子として教師にマークされる。
職員室に呼び出される。
保護者に報告される。
こっぴどく叱られる。
でも、僕に「いじめられた」本人は、
「あれはただのケンカでいじめられたとは思ってない。
むしろ、みんなが自分を無視してる方がつらい」

と言ってました。

つまりは、彼にとって、僕は唯一の「逃げ場」だったわけです。

僕は幸いにもケンカの腕前はクラスの中でもトップクラス。
僕とケンカして勝てる相手がいないから、
「小兄はあいつをいじめてる」
と名指しして、
「今度は小兄を無視しようぜ」
という話になった。
力ではかなわないから、無視。
で、今度は僕が無視されるようになった。

ちなみに、その時は、それを言い出した奴を校舎の裏に呼び出して、
ボコボコにタコ殴りして、腕の骨を折ってさし上げました。
「無視」などという陰湿なことをする奴は絶対に許さん、って。

僕の小中学校時代はそんな感じで、上記の教育長が答弁してた
「いじめたり、いじめられたり」
だったわけです。

しかし、昨今の「いじめ」とはいかなるものか。
相手を追い詰めて、追い詰めて、
相手の存在を否定するような陰湿なものになっているのではないのか。

教師までもが「いじめ」を容認し、また自ら率先して生徒をいじめる。
逃げ場なし。
そして、思いつめ、自殺という、最悪の選択肢を選ばざるを得なくなる。

そんな状況になっているのではないでしょうか。

「学校」「教室」という狭い空間。
しかも教える側は、高校、大学と卒業して、
社会なるものがどういうものなのかも知らずに、
再び学校に戻っていく。
非常に狭い世界。

一歩、外に飛び出せば、何らかの解決方法は見つかるはずなのに、
なぜに、あえて「死」を選ぶのか。

「命とはなにか」

確かに、必修科目を教えることも大事なのかもしれません。
でも、人間としてもっと大事なことってありませんか?
それを教えられない、理解できていない教師が多いような気がします。

さて、ふと気まぐれに「いじめ自殺」で検索をかけてみました。

マスコミ批判もあるようで、例えば↓
http://fareastclub.at.webry.info/200610/article_22.html
http://www.ohmynews.co.jp/HotIssue.aspx?news_id=000000002585
http://www.j-world.com/usr/sakura/japan/ijime_jisatsu2.html

上記3つにざっと目を通すと、
「確かに、そうかもしれない」
と思う部分が多々。
特に最初にあげたURLにある

最近ニュースを騒がせているものと言えば、ライブドアの証券取引法違反という株で儲けた話し、政治家たちの不祥事、警察官の飲酒運転、一般民とは少し違う考え方の人が集まった集団(例えばカルト教団など)と、それに対する執拗なマスコミの追いかけ取材。

確かに、そんなことばかり報道していては、次に続く

自分が小さいころにもいじめは確かに存在した。けれど、教師を含め、大人を信用しているところがあったように思う。信じられる親、兄弟、教師、警察官、政治家・・・。それを支えにして生きていたのではないかと。いじめられてても、勉強を頑張って大人になったら、違う人生が待っているかも知れない・・・、そんな期待。

ということも媒体を通して伝えることができなくなってしまう。
行間にこめられた、静かではあるけど痛烈な業界批判には、
業界に身を置く僕としても、
「我々も反省しなければ」
と感じざるを得ません。

でも、一方で以下のようなことを書かれておられるブログを発見しました。

生徒へのいじめ問題の前に
学校の先生をいじめるのは悪いことですよ!

そもそも、先生がどうしていじめを上へ報告しないかというと、
報告すると出世できないからです。

つまり、いじめが無くならないのは、
上、つまり文部科学省や教育委員会が
いじめがある学校をいじめるからです。
http://nextream.jugem.jp/?day=20061112

上に引用したブログの管理人さんは、教育関係者なんでしょうか?
やたらと学校サイドをかばっている様に感じます。
記事を読むと、「先生になりたい」という動機と
「出世したい」という思いがほぼイコール、
という構図が僕の頭の中で浮かび上がってきます。

今どきの子どもたちは、大人が思っている以上に利口です。
子どもがインターネットで上のような記事を読めばどうなるでしょう。

薄々感じていたことが「確信」に変わり、
「いじめても、あの先生は上に報告しないから大丈夫」
という結論に至ると思いませんか?

そしていじめはますますエスカレートする。

加えて、上記の筆者は
「教師がいじめに参加しているケースもある」
という言語道断な事実を黙殺
していますね。

いじめ、言い換えれば
「弱い奴がさらに弱い奴をたたく」
という事象は、世の常ではないでしょうか。

教育委員会や文科省が指導(筆者の言を借りれば「いじめ」)をしなくなれば、
いじめが自然になくなる、というのは僕としては納得できません。

文科省や教委が、いじめがある学校を”いじめ”るのは、
学校内のいじめ問題に対処できないアホ教師どもに対する指導なのではないでしょうか。
その「指導」を「いじめ」と受け止め、深刻化している学校内のいじめを放置する。

そんなものは教師による「職務放棄」、
もしくは、「学校という組織ぐるみの隠蔽」でしかない
のではないでしょうか。

だいたいからして、教師も「一応は」社会人なわけです。
教職を通じて給料もらってメシを食ってる。
学内でいじめがあるなら、それは上に報告すべきでしょう。
きちんと報告していれば、厳しい指導があるかもしれない。
でも、それをもって学内のいじめ問題根絶に立ち向かうのが
教師の義務ではないのでしょうか。

にもかかわらず、いじめ問題を隠蔽する。
隠蔽ならまだしも、教師が生徒をいじめる。
あるいは、見て見ぬフリをする。
生徒が自殺してから、会見を開いて謝罪する。
人の命を何だと思っているのか。
死んでから「ごめんなさい」で済ませられるようなものではない。
上のブログの記事は、子に先立たれた親の気持ちなど、
まったく斟酌しない「鬼畜」の屁理屈に過ぎない。

校長の自殺が相次いでいる。
それはそれで痛ましいことではありますが、
「職務放棄」「職務怠慢」による責めを負って校長が自殺するのと、
理不尽な「いじめ」に遭って子どもたちが次々と自殺していくのと、
「自殺」という行為は同じでも、その質は全く異なる
もので、
「教育委員会などが学校を”いじめる”から」
という部分を焦点にしてはいけないと思うのですが、いかがでしょう。

いずれにせよ、「命」というものが軽く、軽くなっているように感じる昨今です。

もしも、僕のブログを読んでる人の中で、
いじめに苦しんでいて、自殺しようと考えている人がいたら、
ほんの少しでいいから考えてみてください。

いじめられた人間は人の痛みが分かる人間になる。
いじめた経験しかない人間より、ずっと懐が広い人間になる。
自殺は、「弱い奴を叩く」ことしかできない弱い人間を喜ばせるだけ。
そんな人間のクズのために、自分の命を絶つなんて、
悔しくて馬鹿らしいだけだと思いませんか?

人一人の死というものは、自分が想像している以上に、
親や親戚、友人に抱えきれないほどの苦痛を与えるものです。
今の苦痛を乗り越えた時に、どんな明るい未来が待っているのか、
いろいろと空想してみてはどうでしょう。

5年経っても10年経っても、人生に苦痛しか感じられなければ、
それから死んでも遅くはないんじゃないでしょうか。

かくいう僕自身も、いじめが原因ではないけれど、
自殺したいと感じたことは何度もあります。
でも
「あと1年、生きてみよう。それでダメならその時に死のう」
と、1年ごとに先送りしてた時期がありました。
死ぬのが怖いからじゃなくて、
その時期の苦痛を乗り越えたところに何があるのか見てみたかったから。

おかげで、乗り越えた今では、すっかり開き直って
脳天気なサラリーマンやってます。

「お前、悩みなんてないだろ」

なんてこと言われながら。

真剣に悩んだ時期があっただけに、
多少のことでは動じない精神力が身についたんでしょうね。たぶん。
そう考えると、

「悩むなら若いうちがいい。死ななければ勝ち」

ということもできるのかな、と。

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2006年10月 5日 (木)

飲酒運転 その1

昨今、「飲酒運転撲滅キャンペーン」が流行っています。
はてさて、疑問に思うことが多々あるんですが、とりあえずはここをご覧あれ。

http://blog.livedoor.jp/muddymolly/archives/50114088.html

筆者も書いておりますが、
「飲んで事故を起こす奴」

「素面で事故を起こす奴」
とのパーセンテージの違いをあらためて突きつけられると、唖然としますね。

僕が感じていた疑問は、僕が書き込んだコメントも含めて、ほぼ書きつくされてる感があるので、あえて書く必要はないのかもしれません。
僕も素面で事故を起こしたことがあるので、あまりエラソーなことは言えないし・・・。

でも、一応、三者ブログだから、絡んでおきたいと思います。

かつて単独事故だけど車大破、という事故を起こしたとき、知り合いの警察官に尋ねたことがあります。
「点数は減らないんですか」
と。
返ってきた答えを要約すると、僕が起こしたような事故の場合、原因は明らかにスピード超過と前方不注意で、減点の対象にはなるんだけど、単独事故だったことと、自分自身が怪我して、車もスクラップでその上、点数を減らすのは気の毒だから、減点はしない、という内容でした。

うむ…。

じゃ、人身事故だったらどうだったんだろう?
そこまでは尋ねなかったけど、業務上過失致死傷が適用されて、点数はどうなるんだろ?

さらにさらに、何ゆえ、飲酒運転が厳しくなったのか、見逃してもらえなくなったのか、理由を知っている人っているでしょうか。

僕は新聞記者です。一般的に見れば特殊な業界ですね。
警察官の知り合いもたくさんいます。
スピード違反は機械で測るから、それを見逃すと取り締まりに当たった人が上層部からお叱りを受ける。だから、どうしようもないんですけど、シートベルトとか、運転中の携帯電話とか、さらに言えば、飲酒運転が厳罰化されてからの飲酒運転(正確には二日酔い運転)とか、さんざん見逃してもらいました。

でも、限界があって、取締りしてる人が交通課長とかなら、大概は平気なんですが、そうじゃない場合、つまり、知らない人が取り締まりしてたり、自分の管轄エリア外だったりすると、絶対に見逃してもらえません。

昔は「俺は○○新聞の記者だ」と言えば、目をつぶってくれてたそうなんですが、いまは違う。
これね、警察のちょっとした不祥事を、警察側が「書かないでくれ」って言ってたのに、某左翼紙が「ダメ」とか言って書いちゃって、大騒ぎになったことがきっかけなんです。

警察と新聞社、馴れ合いはよくないけど、持ちつ持たれつの関係つーものがあって、よほどのおおごとなら、やはり新聞社側としては書かないわけにはいかない。

でも、まぁ、これぐらいなら…ってことも多々あるわけで、それなら普段見逃してもらってるから、こっちも目をつぶりましょう、という関係があったのに、官僚的にその関係をぶっ壊した社がある。

そうなると、警察側も黙っていられないでしょう。
「目には目を」
ですね。「お前らが書いたんだから、俺たちも見逃すのはやめる」てなもんで、それに巻き込まれたのが普通に暮らしてる人たちなわけです。

・・・何を書いてるのか分からなくなってきた・・・

ある日、ある警察署で変な会話を耳にしました。

「署長のナンバーは抜いておけよ」

どういう意味か聞いても答えてくれません。何しに行くのか聞いたら、取り締まり。
そこで「署長のナンバーを抜く」って、どういう意味なんでしょう。
想像はできるんだけどね。現場を押さえたわけじゃないし、想像だけで書くのもどうかと思うから、ここは皆さんのご想像にお任せします。

飲酒運転の話、続く。

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2006年10月 4日 (水)

今どきの若者

まもなく人事異動があります。
今回は理由はよく知らないんだけど、いつもと違って10月半ば。
僕は「新聞記者」であることに変わりはないんだけど、「整理記者」といいまして、一般の人が想像する「新聞記者」とはかなり違う仕事をしています。

だから、ブログやったりサイトやったり、果てはゲームやパチンコにハマったり、といったことができるんですけどね。

あと、同業者がやってるブログなんかを見ると、時事問題を取り上げたものが非常に多いんですが、僕のブログは、ほとんどがバカ話だけど、どちらかというと思想的な側面が強い。
もちろん、時事ネタも書こうと思えば書けるんだけど、実際に取材に当たった上での裏話とかじゃない限り、読んでて面白いと思えないし、どうせ書くなら恒久的に残せるものを書きたいと思うからです。
んで、そういうことを考えてる時間もたっぷりある。

さて、そんな仕事ではあるんですが、正直、僕のように
「実働時間30分」
と自他ともに認めるレベルまで到達しなければ、そんな空き時間など作れません。
作れないどころか、初心者は必ずといっていいほど、軽いうつ病になります。

そうです。初心者にとって僕の存在は「雲の上の人」であり、デスクですら僕の言いなりになっています。
ちなみに、部内では「ゴッドハンド」と呼ばれております。
神速で紙面を作るさまは、初心者からみれば「神の手」としか見えないんでしょう。

話がそれました。人事異動。
今回、うちの部署で抱える新人は2人。2人には数週間、「師匠」がついて、基礎をみっちり仕込むわけです。
そのうちの1人を僕が預かることになりました。

ある日、喫煙室でタバコを吸っていると、部の同僚が若い誰かと話をしている。
そして、僕を指差して、
「うちの部で一番怖い人だから、接する時には丁寧に」
などという、とんでもないデマを吹き込んでいるわけです。
いやいや、こんないい加減な人間が怖いわけねーだろ、と思ってたら、その若者が
「○○といいます。今度の異動でお世話になります」
と挨拶してきたんですね。

と書くと、「ちゃんと挨拶できる人じゃん」と思う人もいるかと思いますが、ぶっちゃけ、僕はその挨拶の仕方が気に入らなかった。
なんかね、
「整理の仕事なんてすぐ覚えられるから、お世話になる必要はないんだけど、一応、挨拶でもしとくか」
みたいな、ぞんざいな口ぶりだったんです。
それがカチンときてね。
「あぁ。君が○○君か。俺が君に仕事を教えることになったけど、俺は話を真面目に聞かない奴は嫌いだから、俺が先生についてる間は、一秒たりとも気を抜くなよ。でないと、何も教えないから覚悟しておけ」
ってドスのきいた声で軽く脅しておきました。

なんだかね、最近の20代の連中って、礼儀がなってないと思うんです。
なんか人を見下してるというか、自信過剰というか。
いったい何を根拠にそれだけ尊大になれるのか、不思議でなりません

その後、一言二言、言葉を交わしました。
「君はいままで何を担当してきた」
「これとか、あれとか…」
「あぁ。誰でもできる仕事か。自慢にもならんな」
「・・・」
「その程度の仕事しかしてない奴が、俺に向かってあんな態度で挨拶したわけか」
「・・・」
「で、これからもそんな態度で俺に接するつもりか」
「・・・いえ。あの・・・」
「俺が教えた連中はみんな仕事ができるようになってるけど、いままで初対面で君みたいな態度で俺に接してきた奴はおらん。みんなもっと謙虚やったぞ」
「・・・」
「(タバコの煙を彼に吐きかけながら)これから楽しみやな
「あ、あの・・・」
「ん? なんか文句あんのか?」

お断りしておきますが、僕は後輩を叱ったことがありません。自分では非常に温厚な性格だと思っています。
喫煙室での会話は、あくまでも「からかってみただけ」なんだけど、その新人君、それまでは
「整理なんてすぐ覚えられるでしょ」
とか豪語してたらしいんですが、その日を境に
「あの部署に行きたくない」
とか言い出したらしい。

ま、根拠のない自信を持ってる奴は、それを打ち砕かれるといきなり小心者になる典型例ですね。
「負けないように頑張ろう」
と思う根性はないのかな?

面白いから、もうちょっと「怖い人」を演じてみたいと思ってます。

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2006年9月27日 (水)

検索ワード~行方不明の記者はバカ

少し前に、ブログにアクセスカウンターをつけました。右下の方。いま確認したら「5274」になってました。
ブログやサイトをやる人間って誰でも同じだと思うんですが、
「何かやってみたい」
という意思を持っているんじゃないでしょうか。
「何か」が何なのか分からないから、とりあえず手近なインターネットで、以前ならサイトを、最近ならサイトより簡単なブログを、ってところかな。
明確な目的意識を持ってブログやサイトをやっている人もいますが、「なんとなく」って感じの人の方が多い気がします。

目的意識を持ってやってる人のサイトは当然、アクセスが多い。2ちゃん系もアクセスが多い。
でも、「個人の日記」に過ぎない僕のブログ、サイトは当然、アクセスは少ない。
5000超えてるだけでも、正直なところ、驚きです。
ちなみに、一番アクセスが多かったのが、サッカーのワールドカップ期間中に書いた
「勝ち点の計算方法-日本勝ち抜けの条件」
でした。

それはともかくとして、アクセス件数。
僕も「何かやりたい」と思ってサイト&ブログを始めた派です。明確な目的意識は持っていません。
でも、なぜかアクセス数って気になるんですよね。

このブログと相互リンクしてるブログは
「書きなぐソ陪審」

「霧の中の鈴」
だけ。
サイトは僕が以前に書いたチベット紀行を中心とした
「心象風景」
のみです。
だから、普通に考えれば、よほど面白い内容でなければ、アクセスが増えるはずがない。
なのに、開設から7ヶ月で5000件突破。
どこから来てるんだろう? ってのが気になるところです。

そこで、アクセスカウンター。これ、実はアクセス解析機能も持っておりまして、同時にアクセス解析のタグも張り付けてるので、ある程度までたどることができるんです。
検索ワードも分かる。

「女 ヘビースモーカー」
…いったい何を探してたんでしょう。わりと気になる。
「国名5文字」
…それを何に役立てようというんでしょうか。
「パチスロ 人間のクズ」
…うるせーよ、って感じですね。
「ウクライナ 風俗」
…目的は分かるんですが…
「ブラジル 3文字 表記」
…漢字で書くと「伯剌西」。てか、日常生活の中でブラジルを3文字で表記する必要ってあるんでしょうか? ま、目的はともかくとして、それを僕のブログに求めるのは明らかに間違ってますね。
辞書をひけ! 辞書を!
もしくはWikipedia。
「韓国の汚いサッカー」
…同感。
「もてる30代」
…そんな内容、書いた記憶ないっす。でも検索かけた人が30代で、「女にモテたい!」というギラギラした性欲がびしびしと伝わってくるステキな検索ワードですね。
「糞尿便器処刑」
…もはやここまで来ると、僕の常識では測れない人種が存在するということを痛感させられます。

さて、簡単ではありますが、僕が「?」と思った検索ワードでした。わずか半月足らずの間に、こんなキーワードで僕のブログにたどり着いてる人たちがいるのかと思うと、
「俺のブログって、すっげー低俗なんだなぁ」
と思わざるを得ません。高尚な内容を書いてるつもりなんだけど…

でも、僕が一番気になった検索ワードがあります。
「台風 記者 行方不明 バカ」
これは間違いなく、
「台風で新聞記者が行方不明~記者の殉職」
にたどり着いたはずです。僕は確かにそこで、
「行方不明になった記者は未熟だったんだ」
という内容を書きました。
が、「バカ」ってなんだ?

上記記事にも書きましたが、僕としては、無意味に命を落とす必要はない、同じことを繰り返してはいけない、という思いで書いたんですが、僕も人の子ですから、やはり「取材に行って行方不明」と聞くと、「気の毒に」という思いが真っ先に頭をよぎります。

この「記者 行方不明 バカ」で検索をかけた人は、いったい何を考えてるんでしょう。
人が行方不明になるたびに、そして人が死ぬたびに
「バカじゃねーの」
と喜んで、自分はそんなことしない、と悦にいってるんでしょうか。

人間なんて、いつどこで、どんな死に方をするか分かりません。
イラクで首を切断され殺害された若者がいました。
軽はずみな行動が招いた結果、といってしまえばそれまでですが、僕は彼を
「バカ」
と呼ぶ勇気はありません。
まともな感性を持っていれば、「可哀想」という気持ちの方が先に出てくるんではないでしょうか。

僕の兄は幼いころに事故で他界しました。
自分なりに命の重みは理解しているつもりです。
「記者 行方不明 バカ」
そんな言葉で検索かける鬼畜の気がしれない。
本物のバカはどっちなのか、お前が行方不明になった時に、「バカ」で検索かけられたらどんな気持ちになるか、じっくりと考えろ、と言いたい。
検索をかけた人間のクズは、僕の兄のこともやはり
「バカ」
と呼ぶんでしょうか。もしそうなら、僕がこの手で殺してやりたい。死者を「バカ」呼ばわりするゴミに生きてる資格なんてない。

なんとなく見てみた検索ワードで無性に腹が立ったので書いてみました。
日本社会から、人を思いやる気持ちがどんどんと消え去ってしまっているような気がします。

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2006年9月18日 (月)

台風で新聞記者が行方不明~記者の殉職

台風13号が日本海に抜けました。ブロック紙(だったと思う)の新聞記者、27歳が取材に出かけたまま行方不明になっています。

27歳って、ようやく仕事に慣れてきて、プロ意識が芽生え、記者の仕事が面白くって仕方ない…という年齢です。
新卒で入社したとすれば、僕の経験から照らし合わせれば、バリバリの若手で、気力、体力ともに充実してて、先輩や上司に怒鳴られることも少なくなり、手下(「てか」と読んでね)がつくぐらいの年ですね。

これを書いてる段階では、依然「行方不明」のままなんだけど、九州地方を襲った台風13号のテレビ中継などを見て、
「行方が分からなくなってるだけ」
と思う人はいないでしょう。

仕事柄、「だれそれが行方不明」などという原稿は大量に書いてきたし、紙面化してきたけど、記憶に残っている限り、行方不明者が生きていた、という話は書いたことも読んだこともありません。

世界では毎年、何百人ものマスコミ関係者が殉職しています。
多くは従軍記者なんだけど、朝日新聞阪神支局襲撃事件のような「殉職」もあります。
僕が働いてる会社でも、過去に何人かが取材中に命を落としています。

そう。こんなお気軽で能天気なブログ書いてる僕でも、いつ死んでもおかしくない
徒にマスコミ批判をする人たちも多々いますけど、僕ら業界人だって命がけで報道の仕事に携わっているわけです。

一昨年だったかな?
台風上陸が相次いで、日本中に大被害をもたらした年がありました。
直後に新潟中越地震が起きたこともあり、多くの人は記憶から薄れているかもしれませんが、あの時、僕は日本海側の通信部で仕事をしていました。

強風と大雨で、夕方6時ごろにメシを食いに行こうと外に出たら、道路は完全に冠水していて、どこがセンターラインなのか分からない状態。
というか、どこが道路なの? 状態。
要するに出かけられない。
その夜はカップラーメンをすすって空腹をしのいだ後、時々、関係機関に被害状況を問い合わせて、あとは徹夜で待機。

一夜明け、テレビを見ると兵庫県豊岡市、水没。
比較的近くだったので、上司に「応援に行く」と伝えて現場に向かいました。

当地の支局に到着すると、所属記者連中はグッタリ。
どうしたのか質問してみると、
胸のあたりまで浸水してる時に、堤防の決壊現場に取材に行った
とか、
冠水した道を強行突破して災害現場に行ったら、川の水が逆流して一気に増水したため完全に孤立し、風雨にさらされながら民家の屋根で一夜を過ごした
とか。

そいつらに言いましたね。
「お前ら、バカか」
って。
普通に仕事してるだけでも死ぬことがあるような職業なのに、これからますます災害がひどくなるって時に現場に向かうのは自殺行為に等しい。

「記者魂」
と言えばカッコいいかもしれないけど、連中の言葉を聞いてると、結局は現場の状況を把握してない本社のエライさんに
「現場に行け」
って言われたから行っただけ。
命令したデスクもデスクなら、状況も見ずに現場に向かった記者も記者で、どっちもどっちですね。
怪我人は数人出たけど、死者がいなかったのが不幸中の幸いです。

さて、今回の台風で行方不明になっている記者は、どういう経緯で取材に行ったのか。それが気になるところです。

自らの意思で行ったのなら、それは本物の「記者」だし、殉職しても堂々と「プロとして命を落とした」と言えるでしょう。
けど、上司や先輩の命令で行って、行方不明になったのなら、無礼を承知で書かせてもらうと、
「取材不足だった」
としか言いようがありません。

何らかの方法で被害状況をしっかりと取材して、いまどのような状況下にあるのか、しっかり把握していれば、
「巻き込まれる可能性は十二分にある」
ということは事前にある程度分かるはずで、ベテラン記者はそういう準備をしてから、出るべきか、出ざるべきかを判断しています。

行方不明者に対してこんなことを書くべきじゃないのは重々承知していますが、今後も僕と同じ業界の人間が同じような目に遭わないことを願って、あえて書かせていただきます。

行方不明になった記者、要は「記者として未熟だった」ということです。

もしくは、本当に自らの意思で報道に命をかけたのか、どちらか。

すべてを把握した上で危険な現場に赴くことは「勇気」と言えましょうが、命令されたからといって盲目的に現場に向かうことは「勇気」とは呼びません。「盲従」であり、単なるロボットです。

ところで、僕が体験した台風の取材ですが、上記の通り、僕が勤めていた通信部周辺ですら既に派手な冠水がありました。
電話で関係各所に問い合わせたところ、数メートルの床上浸水が多数出ており、現在、救命ボートで救出作業中、という返答がいくつもありました。
デスクに
「こっちではこんな状況です」
と報告すると、
「取材して写真撮ってこい」
との命令。

で、数十分後、再びデスクに電話して
「冠水がひどくて、たどり着けません」
「なんとかならないか」
「完全に水没して、目視不可能な距離までしか行けません。現場まではとても無理です」
ということで、デスクはあきらめました。

もちろん、その夜、僕は一歩も外に出ずに通信部でカップラーメンすすって、パソコンでゲームしてたあhふぁらうお

「報道の使命」ってのは確かにあるけど、命かけるほどのもんじゃないっす。

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2006年9月17日 (日)

英語も愛国心(日本語って難しい…)

教育基本法改正で「愛国心」が盛り込まれるようです。

いや、ぶっちゃけ、ニュース面担当じゃないと、なかなか日ごろのニュースが記憶に残らないものでして、僕は普段スポーツ面ばかりやってるもんだから、
「盛り込まれるようです」
みたいな書き方してしまってますけど、盛り込むべきだろうし、それが論争になること自体がおかしいと思っています。
反対してる人たちは、いったいこの国の教育に何を望んでいるんでしょうか。
小林よしのり氏がいつだったか、何かで描いておられたような
「日本国解体」
なんですかね。

そもそも「戦後民主主義」とやらで、「自虐史観」を叩き込まれた、
「日本は悪い国だ」
という洗脳から、いい加減に脱却してはいかがでしょうか。
「憲法九条死守!」
とか言って、国際社会の現実を理解しようとしない。
「首相の靖国参拝反対!」
とか言って、靖国がどういう施設なのか、神道がどういう宗教なのか、祀られている人たちはどういう人たちなのか、分かろうとしない。

身命を賭してあなたを守ろうとしてくれた人たちに、
あなたは唾を吐きかけられますか?

祀られているのはA級戦犯だけじゃないということ、そして、神道の性質上、一度祀ったら分祀は不可能なこと、「A級戦犯」なるものに広田弘毅(字が間違っているかもしれません…)のような人も複数いること(「落日燃ゆ 」参照)、そして何より、戦犯を合祀した当時は圧倒的多数の日本人がそれを支持したことなど、諸々のことを把握した上で反対してるんでしょうか。

靖国に関しては、僕も詳しく調べたわけじゃないから、あまりエラソーなことは書けませんが、やはり、命を落としてまで自分の子孫、つまり今の日本を生きる我々を守ろうとしてくれた人たちが祭られている神社に、一国の首相が参拝しない、などとは言語道断ではないのか、と思う次第です。

中国、韓国の「靖国反対」は明らかな内政干渉だから、放置しておけばいいとして、僕が勤める新聞社をはじめとするマスコミ各社も、いい加減に「靖国バッシング」がいかに愚かしいことなのか、気づくべきだと思っています。

と、前口上が長くなってしまいましたが、教育基本法改正を見据え、中教審が各授業で「伝統」を重視する方向で検討を進めているそうです。

国語では、古文の朗読、詠唱。
これは古文・漢文が大の苦手だった僕からすれば、
「そんなことして意味があるのかな?」
です。
それなら、日本語の乱れを正すべく、「昔はこんな言葉遣いしてたんだよ」じゃなくて、現代国語で「これが正しい日本語だ」というのを徹底すべきではないのか、と。
「全然」が冒頭につけば、最後は「~ない」という使い方をするものであって、
「全然大丈夫」
という用法は誤りなんだ、みたいな。

まぁ、言葉は時代とともに変化していくものだし、あくまでもコミュニケーション・ツールだから、僕自身は「意味が通じればそれでいい」と思ってますけど。

でね、今日(昨日?)見かけた原稿に
「中教審が音楽や英語でも伝統を重視する素案を出した」
というものを見かけたんです。

音楽で「伝統重視」といえば、今の教科書に載ってる(のかな?)ようなミスチルやらサザンやらの曲より、「隅田川」とか「こいのぼり」「富士山」のような文部省唱歌を優先するんだな、ってことは容易に理解できますよね。

じゃ、「英語で伝統重視」って、なにすんの?

どうやら、国語、社会、音楽などで学んだ日本の伝統文化を英語で発信する、という内容らしいんだけど、
「音楽の伝統重視」

「英語の伝統重視」
とは、明らかに意味が違いますよね。

原稿には「仮見出し」というものがついていて、見出しをつける際の参考にするんだけど、その原稿の仮見出しは
「音楽、英語も『伝統重視』」
でした。

最初に見たとき、もの凄く違和感を感じました。
「英語の古語を授業に取り入れるのかな?」
って。
んで、原稿を読んだら上記の通り。

しつこいようですが、
「音楽の伝統重視」

「英語の伝統重視」
はニュアンスがかなり違う。
でも、
「音楽、英語も『伝統重視』」
といわれると、違和感は感じるけど、原稿の内容を読んだ上で判断すれば、なにがおかしいのか、上手く説明できない。

結局、見出しに「…英語も」という文言は省きましたが、部内で「『…英語も』という言葉があった方がいいんじゃないのか」というクレームが大量に出てきました。

「英語の伝統重視、ってなにするか想像できますか?」
と質問すると、ほとんどの人が返答に詰まる。
でも、原稿を読んで、あーだこーだと理屈をこねてくる。

英語だけを取り上げれば、おそらく僕の言い分は正しいと思うんですが、「音楽も」となってくると、途端に僕の言い分は弱体化してしまう。

要は「伝統重視」という言葉に込められた意味が多岐にわたりすぎて、誰もが納得できる見出しを誰も思いつけなかった、というわけです。

しかし、中教審も、「日本という国の文化・伝統を英語で発信する」とかいう中途半端なことをせずに、「英語の授業で源氏物語の英訳本を使う」とか、思い切ったことをすりゃいいのにね。
源氏物語って、おそらく英訳したら単なるエロ小説だから…って、英訳しなくても十分エロ小説だけど…中高生は必死で勉強すると思うんです。

ちなみに、英語が得意で日本史が苦手だった僕は、「Japanese History」っていうガイジンが書いた英語の本で日本史の勉強しました。

英語で日本文化を発信する、外国人相手に日本の話をする、という想定ならば、日本の文化・伝統・歴史を書いた英語の教科書を使うべきなんじゃないかな?

よく言われてるでしょ。
大事なのは「英語を喋る」ことではなく、「なにを喋るか」だ、って。
日本からアメリカやイギリスに語学留学する連中がたくさんいるけど、彼らは「英語を喋る」ということに力点を置きすぎて、日本に関する質問に答えられない人が多いんだって。
それで、「自分の国のことも知らない奴が外国語を学んでどうするんだ?」と笑いものにされてるそうな。

そういう点では、「英語でも伝統重視」ってのは、日本語としては意味が分からないけど、「日本のことを英語で話す」という内容の授業は非常に有益なことかもしれませんね。

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2006年6月15日 (木)

日本のサッカー土壌

前回にもチラッと書いたけど、今回のワールドカップ、日本ではBSでは全試合放送してるけど、地上波ではやってません。
また、ネット中継もありません。

一方の韓国。いま、ドイツvsポーランドの試合を見てるんだけど、韓国テレビ局のネットLiveで見てます。

「どうせ日本人はワールドカップは見ないだろ。見たかったらカネ払え」

というのが日本のテレビ局のスタンスなんでしょうか?
僕としては、世界各国の代表が集まるワールドカップを見て、日本の力のほどを確認すれば、
「日本は勝てる」
なんて幻想は抱かなかっただろうし、いたずらにサムライ・ブルーを持ち上げたり、負けたからといって日本代表やジーコ監督を叩いたりしなかったんじゃないかな、サポーターも変に落ち込んだりしなかったんじゃないかな? と。

いま、マスメディアでは
「次のクロアチア戦では絶対に勝たなければならない」
とか言ってますが、日本vsオーストラリアの後、チェコvsアメリカや、ブラジルvsクロアチアを見た人っている?
イタリアvsガーナ、アルゼンチンvsコートジボワール…
あれ見て、僕は
「この大会、日本は出るべきじゃなかったのでは?」
と感じました。
正直、日本人として恥ずかしい。

僕はオーストラリア戦見てて、既に前半の段階で
「日本は負ける。良くてドロー」
と思ったけど、多くの人は途中で「勝ち点3」を確信したと思います。

おそらくその原因は、テレビ局の金儲け主義。
本当に日本代表で視聴率を稼ぎたいなら、少なくともワールドカップぐらいは全試合中継しろよ、って。
チェコvsアメリカは放送してたけど、イタリアvsガーナは地上波では放送しませんでした。
もしも日本が決勝トーナメントに進出したら、最初に当たる相手がE組の(おそらく)イタリアかチェコなのに、そのイタリア戦を放送しない。

なに考えてんだ? 日本のテレビ局は?

日本が強くなれば、ワールドカップでもかなりの成績はおさめられるでしょう。
何年かかるか分からないけど、そのために必要なことって、監督の姿勢がどうだとか、戦術がどうだとか、そういう内向きの話をダラダラ解説する前に、
「ワールドカップって、こんなに面白いんだぜ」
ってのを見せなきゃいけないと思うんです。

つまり、どんなに時間をかけてでも、日本にサッカー文化の確固たる土壌を築かなければならないわけです。

韓国のテレビ局は、ネットを通して、彼らが大嫌いなはずの日本人にも全試合を見せてくれてます。
それに引き換え、日本のテレビ局はどうか。

「日本戦だけ流しとけばいい」

ですか?

そんな姿勢で、日本サッカーが強くなるとでも思ってるんでしょうか?

韓国がトーゴに勝った時の、韓国内のあの熱狂。
あれがあってこそ、代表が強くなれるんだと思うんです。
その熱狂を生み出したのは、やはりテレビでしょう。

韓国が前回、いろいろと問題はあるにせよ4強まで進んだ理由は、サッカー文化を盛り立ててきたテレビの存在が大きいんじゃないかな?

欧州のクラブ・サッカーまで見せろとは言いません。
でも、せめてワールドカップぐらいは全試合、タダで見せてほしい。
その上で、負けた時に監督や代表を叩くならともかく、ワールド・サッカーのレベルも見せずに、
「日本勝てる!」
とか言って、その気にさせて、負けた途端、無茶苦茶に叩く、ってーのは、同じマスコミで働く者としていかがなものか、と。
フェアじゃないですよね。

でもって、僕が特に腹が立つのが、B組のイングランドvsスウェーデン、C組のアルゼンチンvsオランダって地上波で放送しないんですよ。
特にC組。優勝候補同士のガチンコを見せない、って…。
加えて、決勝トーナメントも、1日1試合は放送するみたいだけど、最高に面白い決勝トーナメントを一部しか見せない。

もうね、その程度の認識しかないんなら、最初からワールドカップなんか完全に無視すりゃいいじゃん。
「日本だけよければそれでいい」
という姿勢はいい加減、やめてください。
僕は世界のファンタジスタの活躍、新たな英雄の誕生を見たいです。

んでもって、すべてを見せることで、世界の中の日本のレベルが分かる。
そしたら、日本人もワールドカップがどれほど大きな「戦争」なのかが分かるでしょう。
当然、その中で「勝ってほしい」と思うし、そう願って必死で応援するようになれば、必然的に日本は強くなるし、長期的に考えて、視聴率はもっと稼げるようになると思うんです。

そう思いませんか?

ちなみにドイツvsポーランド、いま終わりました。
すげーいい試合してた。ドイツがロスタイム突入直後に1点叩き込んで勝ちました。
これで勝ち点6。エクアドルvsコスタリカの結果にもよりますが、予選突破はほぼ確実な状況です。
エクアドルが引き分け以上で、ドイツ16強、ポーランド敗退確定。
コスタリカが勝てば最終戦までもつれ込む。

 

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2006年6月11日 (日)

W杯、出場国の表記

このブログ名は「えせ記者徒然」です。ロクなことを書いてない上に、あくまでも
「個人的な日記だよん。職業とは関係ないよん」
という意味合いを込めて「えせ記者」としましたが、一応は本物のマスコミ人です。

・・・まぁ、やってる仕事は新聞のレイアウトや見出しを考えるという、一般的にイメージされる「記者」じゃないんだけど、それでも本物の記者であることは間違いありません。

さて、新聞の見出しの付け方には原則があります。

主見出しは10文字まで。

レイアウトによっては7文字とか8文字、時によっては6文字に限定されることもあります。
興味があれば、新聞を開いて見出しの文字数を数えてみてください。どの新聞も、大きな見出しはほとんどが8~10文字になっているはずです。

今回のワールドカップ2006年ドイツ大会。
これは困った…。
とりあえず、出場32カ国の国名を列挙してみます。

日本
韓国
ドイツ
イラン
ガーナ
チェコ
トーゴ
スイス
オランダ
メキシコ
アンゴラ
イタリア
アメリカ
ブラジル
フランス
スペイン
コスタリカ
ポーランド
エクアドル
パラグアイ
ポルトガル
クロアチア
ウクライナ
チュニジア
イングランド
スウェーデン
アルゼンチン
オーストラリア
サウジアラビア
コートジボワール
トリニダード・トバゴ
セルビア・モンテネグロ

どのような順番で並べたか、見ていただければ分かってもらえると思うんですが、「?」という人のために、もう一度。

【2文字国名】
日本、韓国

【3文字国名】
ドイツ、イラン、ガーナ、チェコ、トーゴ、スイス

【4文字国名】
オランダ、メキシコ、アンゴラ、イタリア、アメリカ、ブラジル、フランス、スペイン

【5文字国名】
コスタリカ、ポーランド、エクアドル、パラグアイ、ポルトガル、クロアチア、ウクライナ、チュニジア

【6文字国名】
イングランド、スウェーデン、アルゼンチン

【7文字国名】
オーストラリア、サウジアラビア

【8文字国名】
コートジボワール

【9文字国名】
トリニダード・トバゴ

【10文字国名】
セルビア・モンテネグロ

6文字までの国名は、まぁ許容範囲かな、と思うんです。あと、7文字のオーストラリア、サウジアラビアは、「豪州」「サウジ」と略せるので問題なし、と。
で、コートジボワールはどうするよ…
すっげーいい試合して、どでかい見出しが必要になった時、どうするんだよ…。ずーっと無敗だったら? 02年大会のセネガルみたいに旋風を巻き起こしたら?

「コートジボワール快勝」
「コートジボワール連勝」
「コートジボワール旋風」

・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
連日、似たような見出しが躍る…
日本にとって馴染みが薄い国だけに、「豪州」「サウジ」みたいな具合に「コート」なんて略したら
「分からん!」
なんて苦情がきそうな気がする。
でも「ジボワール」はアリかな?
ま、初戦はアルゼンチンに負けたからいいけど、でもそのアルゼンチンも略せないし…
「アルゼ」だとパチスロ・メーカーだしなぁ。
「南米の強豪」だと
「ブラジルはどーすんだよ!」だし。

けど、それ以上に悩ましいのが、
「トリニダード・トバゴ」ですね。
英語表記を見ると
「Trinidad and Tobago」
トリニダード島とトバゴ島による国なので、「トバゴ」とは略せない。略したら、
「じゃ、トリニダード島生まれの選手はどうなるんだ?」
ですね。

んでもって、うちの会社のバカどもは僕が何度言っても
リニダード・バゴ」
とか、
「トリニダー
なんて平気で書いてくる。
ひどいのは

ドミニダーゴ・トーゴ

でした。
ドミニカ共和国とトーゴがごちゃ混ぜになってんじゃねーか。つか、そもそもドミニカなんて今回は出てないぞ、です。
そしてトーゴを「トルコ」って書いたり「トンガ」って書いたりしてくる
可愛い後輩たち。ぶん殴ってやりたいことも時々…

さらに厄介なのが、セルビア・モンテネグロ。
つい最近、モンテネグロが独立宣言しちゃったでしょ。
だから、「セルビア・モンテネグロ」としては、おそらく今回が最後のW杯になる見込みなんです。
独立宣言さえしていなければ、「セルビア」って略してもまぁ、知名度が高いし、分かるからいいかな、と思ってたんですが、独立しちゃったから、絶対に略せない。困った…

それを考えれば、トリニダード・トバゴなんて、まだ可愛いもんですよね。「トバゴ」でも十分に通用するし、日本人にとって馴染みが薄いだけにごまかしがきくかもしれない。
スウェーデン戦なんかでは
「トリニダード・トバゴ分け」
と、味も素っ気もない見出しよりは、
「トバゴ、猛攻耐えドロー」
の方がマシだと思う。

でも、セルビアとモンテネグロは本当に数日前に分割されたばかりだから、その報道も記憶に生々しいだけに、
「セルビア猛攻」
なんてやっちゃうと、
「モンテネグロと戦争始めたのか?」
とも受け止められかねない。
う~ん…考えすぎかな?

とりあえず、長い国名のチームは早く負けてください。

…と思うんですが、前回にも書いた通り、PS2のゲーム「2006 FIFA ワールドカップ ドイツ大会」ではトリニダード・トバゴが決勝戦まで勝ちあがってくるんです。

3回目をやってみました。今回、僕はポルトガル。
トリニダード・トバゴ、3回連続決勝戦進出。そして2回目の優勝。
イヤな予感が・・・

日本はともかく、他の出場国でオシャレっぽく、かつ短くて済む表記の仕方ってないですかね。

アンティグア・バーブーダとかセントビンセント・グレナディーンなんかが出てなくてよかった…。
どう略していいのか、見当もつかない。

 

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2006年6月 9日 (金)

ワールドカップはいつ始まるんだ!―整理記者の苦悩

いよいよW杯開幕ですね。
これを書いてる時点で初戦まで24時間を切ってます。

おぉぉぉぉ。ドキドキするぞ。

さて、僕が働いてる新聞社では1ヵ月ほど前から「W杯開幕まであと○日」というカウントダウンを掲載してきました。
最近までは「あぁ、あと10日かぁ」みたいな具合で、あんまり気にしてなかったんだけど、「あと3日」ってのを見た時に、ある「落とし穴」に気づきました。

ワールドカップはドイツ時間で9日開幕です。
初戦のドイツ―コスタリカはドイツ時間で9日18時キックオフです。
日本との時差は+7時間。
ということは、日本時間では初戦キックオフは10日午前1時。
つまり、わずか1時間とはいえ、日付がずれるということになるんですよね。

うちの社ではキックオフを基準に「あと○日」と入れてたわけで、7日付朝刊では「あと3日」でした。
この「あと○日」は我が社だけでなく、ほぼすべての新聞が掲載していましたが、どの社もすべて同じ「残日数」を載せてました。

さぁ、8日付朝刊を作ろうか、というとき、いままでの基準だと「あと2日」になるはずなんだけど、そこで問題が…

日本時間9日23時ごろに始まる開幕セレモニーって、どうなの?
セレモニーをもって「W杯開幕」って表現していいの?
僕としては、やはりキックオフを基準にすべきだと思うんですが、セレモニーが実質的な「W杯開幕」だと、いままでの「あと○日」はすべて間違っていた、ということになる。(しかも全紙w)

さて、結局は8日付朝刊で「あす開幕」。「あと2日」というカウントダウンは突然終了。

おい! W杯はいったいいつ開幕なんだ?

先日のW杯班以外のデスクとの会話。
デスク「『きょう開幕』って見出しはいつ掲載することになるんだ?」
僕「時差の関係で『きょう開幕』って見出しは無理でしょう。9日の朝刊で『10日未明キックオフ』としか出せないんじゃないかな?」
デスク「でも開幕式は9日の夜だから、9日朝刊で『きょう開幕』じゃないの?」
僕「それなら『きょう夜、開幕式』でしょう。やはり、キックオフが実質的な開幕じゃないの?」
デスク「そだな。やっぱ見出し的にはキックオフを基準にすべきだろうな」

さて…やはりどう考えても僕としては、セレモニーはあくまで「余興」であって、真の「ワールドカップ開会」ではないと思うんですが…

んで、ワールドカップの「真の開幕」って、日本時間では何日になるの?

 

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